テーブルに置いていたともみの携帯が震えた。横目で確認すると、フロアで凪の母である葵と話しているはずの愛からのLINEだった。何かあったのかも…と凪に断ってから見てみると、『こちらがOKになるまで、個室から出てこないでもらえるかな?』とあった。
凪に聞かれたくない話が始まったのかもしれないと想像し、簡単に『OK』の絵文字を返信して、ともみは話を戻す。
「Aさんには、抜群の歌の才能があった。それは努力では手に入らないレベルのもので、私は本当にうらやましかったの」
歌も踊りも“優等生”で、アイドルの割には歌が上手いよね、という域を抜けることができなかったともみとは違って、YU☆MEの才能は、音楽のプロたちが、“本物”だと認めるものだった。
『QUINTZ-Gの中で、YU☆MEだけが本物のシンガー』
そう評されることにともみは、悔しい思いもしたけれど、それ以上に、メンバーにYU☆MEがいるということが誇らしくもあった。
「Aさんは幼い頃から歌手になることが夢だったんだけど、外見に自信がなかった。というより、オーディションを受ける度に、自信がどんどん削られていったの。歌は圧倒的でも、外見で落とされ続けたから」
確かにYU☆MEのルックスはとび抜けて美しいとか、目を引くものではなかった。けれど、愛嬌のあるえくぼがかわいく、クラスにいたら1、2を争う人気者だろうという親しみやすい可愛さがあったのに。
“スタイルは悪くないけど、顔が惜しいね。せめて顎のエラが張ってなければねぇ”と笑いながら落とした審査員もいたという。アイドルになりたいなら外見だって大事だし、仕方ないんだけどね、とつぶやいたYU☆MEの自虐的な笑顔を、ともみは未だに忘れることができない。
ともみは、YU☆MEほどの実力なら、アイドルにこだわらずとも歌手として活躍できたのではと思うことがあった。外見を問われない覆面歌手という手もある。歌の力だけで十分勝負できたはずだ。
けれどYU☆MEの夢はあくまでも、“歌って踊れるキラキラしたアイドル”だったのだ。
「そんなAさんがね、もうこれで最後にしようと決めて、あるオーディションを受けたんだけど」
それが、QUINTZ-Gのオーディションだった。
「そこで、Aさんの実力を評価してくれる人が現れたの。審査員として参加していた有名な音楽プロデューサーだった。
彼女の事務所には売れっ子アーティストが何組も所属していて、そのほとんどを自ら発掘し、ブレイクさせてきた人。Aさんが憧れていた人でもあった」
― 真壁(まかべ)リオ。
その名を、凪も知っているはずだ。12~13年程前、ある地下アイドルに提供した曲がSNSで大バズリし、その曲の作者として華々しく世の中に発見された音楽プロデューサーだ。
真壁リオが世間の注目を一気に集めたのは、当時まだ20代後半という“若き才能”だったこと、さらにそのルックスが、まるでアイドルかのように愛らしく可憐だったからだ。
そのルックスにもかかわらず、表に出るのは向いていないと、真壁は何かのインタビューで答えていたけれど、発見されて以来、人気アーティストたちから曲の依頼が殺到し、瞬く間に時の人となった。
彼女の曲は売れる。そして次第に、その手腕は曲作りだけではなく、アーティストやアイドルのプロデュースにも及ぶようになり、今や、日本だけではなく、K‐POP業界の第一線でも活躍を続けている。
「Aさんは、自分が憧れていたプロデューサーに、あなたのように歌の力が本物の女の子を求めていた、是非デビューさせたいって言われたのね」
「…よかった。報われて」
凪は素直で優しい反応をした。けれど、YU☆MEの話は──けなげな女の子の努力が報われた、というただの美談ではない。
「でもね、デビューするには条件があった」
「…条件?」
「顔を変えること。整形だよ」
凪の表情がピタリと止まった。
「Aさんがずっと欲しくてたまらなかった、歌手としてのデビューをエサのようにちらつかせながら、ただし今の顔のままでは、そのデビューは手に入らないと言った、ってこと」
「…それで、Aさんはどうなったの?」
「どうなったと思う?」
「…整形、した…?」
「そう。そして彼女は、念願の歌手デビューを果たしたの」
「それは…よかった、んだよね?」
「最初は、ね」
『最初は、顔を変えることに抵抗があったけど、だんだん、真壁さんの言うことが正しく思えてきちゃって…』とYU☆MEから聞いた日。その部屋に射しこんでいた赤すぎるほどの夕日の光に照らされた彼女のぐしゃぐしゃの涙顔を、ともみは昨日の出来事のようにはっきりと思い出すことができる。
オーディションに落ちる度に増していく容姿へのコンプレックス。下がり続けた自己肯定感。そして、何者にもなれぬうちにただ年齢を重ねていき、夢への参加資格が期限切れになりそうだという焦り。
そこへ最後のチャンスをくれる人が現れた。真壁がまるで救世主のように見えたとしても仕方がなかったのではないか。
ほんの少しずつ調整したら、あなたの顔はすごくかわいくなるよ。そしたら夢が叶うんだよ、という誘惑に飲み込まれて整形を決めた時、YU☆MEは21歳だった。
YU☆MEは真壁に言われるがまま、目と鼻、顎などを整形した。少しずつとはいえ、ほぼ全顔の整形だ。
そしてYU☆MEは、ともみと共にQUINTZ-Gのメンバーとしてデビューし、卒業…と名づけられた解散までの3年間を一緒に過ごしたが、実は…真壁がプロデュースしたグループで唯一、“そこそこ”しか売れないまま解散したのがQUINTZ-Gなのだ。
今も、音楽プロデューサーとして輝かしいポジションにいる真壁が、かつてQUINTZ-Gをプロデュースしていたことは、まるで大きな力で隠蔽されたかのように忘れ去られている。
「最初は、ってどういうこと?」
凪の質問が、ともみを過去への感傷から引き戻した。
「Aさんは、あるグループに参加したんだけど、歌の実力が飛びぬけていたから、当然のごとく、メインボーカルになった。
他のメンバーも、そこそこ歌えて踊れたけれど、彼女の歌唱力のおかげで、“本格的歌唱力を持つアイドルグループ”として話題になったし、曲も売れた。
デビューしたばかりのグループとしては上出来だったと思う。Aさんも、グループのメンバーも、その有名プロデューサーも、このまま順調にグループは成長していくものだと思ってた。
でも…デビューして2年目の3曲目のレコーディングの頃から、少しずつ…Aさんがおかしくなっていってしまったんだよね」
凪は相槌さえ忘れた様子で、ただともみの話に聞き入っている。個室に移る時に、ともみが入れなおして渡したアイスティーのグラスの周りについた水滴はどんどん増え、その中身は、いつからか減っていない。
「思うように歌えなくなってしまったの。最初に気がついたのはボイストレーナーさんで、レコーディング中に、Aさんの声がいつものように伸びないねって、心配して。
Aさんの歌声の特徴とか魅力は、ミックスボイスとかミドルボイスっていわれてるもので。地声と裏声の区別がつかない感じの歌い方だったの。
高音がどこまでも出るし、意識して声を張り上げている感じはしないのに、LIVEの騒音の中でもよく聞き取れる、よく通る歌声として評価を受けていたんだけど、それがそのレコーディングの日には、声が通らず、こもってる感じがする、って」
最初は風邪なのか、喉の炎症なのか、と軽く心配されていたけれど、思わぬ原因が判明していくのは———ある日、レコーディングスタジオのトイレで隠れて泣き続けていたYU☆MEを、ともみが見つけたことからだった。
「なんか最近、顎に違和感があってうまく動かなくなってる気がする…今までみたいに声を響かせられていないのがわかるの。思うように歌えない。どうしよう…」
泣きじゃくるYU☆MEをなんとか落ち着かせ、ともみはスタッフに話して、その日はレコーディングを中止にしてもらった。その後、YU☆MEを自宅まで送り届け、眠るまで側にいるから、とともみも部屋に上がった。そこで初めて、告白を受けたのだ。
YU☆MEが整形していたこと、そしてそれが、デビューを引き換えにした真壁リオの提案だということを。
顎も削ったのだと聞いてともみは、整形の後遺症が出始めたのでは?と疑った。
以前、事務所の先輩歌手が顎関節症になり歌えなくなった時、顎関節症の治療…つまり顎の骨を調整する手術はその後の歌手生活に影響を及ぼす可能性もゼロじゃない、とそのリスクを説明されたと聞いたことがあったからだ。
この記事へのコメント
のこの連載は、片手間で飛ばし読みしたり国語力が足りない人には難しくて感想も出てこないだろうなとは思います。
ともみが言うように凪は本当にお母さんが好きなんだよね。そして多分普通に家庭の温もりとか家族団欒的なのが必要だったのかな。何よりもっと父親からの愛情を受けたかったと思う、自分に対しても母親に対しても。