ともみはYU☆MEにすぐに病院に行くことを勧めた。YU☆MEは嫌がったが、これ以上悪化したらどうするの?と説得し、事務所のスタッフが病院に付き添った。けれど。
「検査をしたけど、炎症しているとか、後遺症が出ているという形跡は見つからず原因は特定できなかった。でも、手術直後よりも、ほんの少し骨がずれてしまっていることだけは確認できたの。
考えられることは…術後の骨の安定期間中に、発声によって口周りを酷使してしまったことで、骨とかその周りの筋肉に想定外の負荷がかかってしまって、ほんの少しのずれが生じたかもしれないと。
本来、顎の手術をした後は、顎に負荷をかけない方法で少しずつ発声のトレーニングを始めていくものらしいの。そこで無理をしなければ手術前の状態に元に戻るらしいんだけど」
YU☆MEのように、大がかりな顎の骨を削る手術をした場合、完全に腫れやむくみがとれて、整形が完成するまでにはかなりの時間がかかる。その期間に無理をしてはいけないと伝えられていたはずなのに。
「Aさんは誰よりも努力家だったから。やっとつかんだラストチャンスで絶対に失敗できないっていう焦りもあったんだと思う。それで、医師が決めた安静期間が終わる前に、無理な発声トレーニングを始めてしまったから、それが顎に負荷をかけた可能性もあると。
ただ、歌いづらくなった原因を医学的に明確に特定することはできないし、いくつかの要因が絡んでいるかもしれない。だから、しばらくは検査を続けつつ休養をして、少しでも状態が良くなるのを待つしかない。
でも、完全に元通りになる可能性は低いと、お医者さんに言われてしまったんだよね」
その後、事務所は、YU☆MEの活動休止を発表した。世間には体調を崩したため一時的に療養するとだけ説明し、ファンや世間も復活を待っている、という温かい反応だったのだけれど。
「Aさんはショックで引きこもるようになった。医師に『元通りになる確証はないしその可能性は低い』と言われたことで、大好きで、唯一の自信でもあった歌を失ってしまうかもしれないという恐怖に怯えて…。
その上、Aさんに整形を提案したプロデューサーが、Aさんに寄り添わず、彼女を除いた4人組としてのコンセプトにすぐに切り替えたことを知った時、もう自分に戻る場所はないんだと絶望して心を病んでしまったの。そして結局…芸能界から去ることになってしまった」
その時、整形手術のリスクについて調べたともみは、鼻腔や口周りの骨格を変えることで、発声が変わってしまう可能性がゼロではないということを知った。
だから、歌手や声を出すことを生業とする人たちは、整形手術はもちろん、歯の矯正でさえも受けることには慎重になるべきだということも。そしてそのリスクを説明せずに、YU☆MEに整形を勧めた真壁に嫌悪感を覚えたのだ。
「ともみちゃんは今私にこの話をして…整形ってこんなに怖いんだからやめなさいって言ってるってこと?」
凪の声は少し震えていた。ともみは微笑み、静かに首を横に振った。
「私は美容整形が悪いとか怖いってことを伝えるためにこの話をしたわけじゃない。そもそも成功する手術の方が多いわけだし、凪ちゃんだって、失敗するリスクとか後遺症が残る可能性があることは知ってるでしょう?」
凪が頷くのを待って、ともみは続けた。
「Aさんはね、休んでいる間も顎がよくならなかった。そしてどんどん休養期間が延びていく恐怖に絶望して、自分がこうなってしまったのは、全てプロデューサーのせいだと憎むようになったの。
元々私は整形するのはイヤだった。でもプロデューサーに説得されてしまった。プロデューサーに整形するように言われなければ、私はこんな目に遭わなかった、歌を失うこともなかったのにって。
歌手になりたくて…歌いたくて整形したのに、歌を失って…底なし沼みたいな恨みに支配されてどんどん心が壊れていった」
「だって、それはそうじゃん!そのプロデューサーさんが、Aさんの夢への気持ちを利用して、そそのかしたんだからその人のせいじゃん。その人と出会わなければ整形しなかったわけでしょ?」
凪の言葉に怒りが混じり、ともみはなだめるように微笑んだ。
「それはその通りとも言えるし、違うともいえる。私がこの話から、凪ちゃんに伝えたかったことはね。もし整形で思ったような結果にならなかったとき、誰かのせいにしないでいられるかってこと。
Aさんだって、自分の意志で整形していたなら、たとえ声が出なくなって歌を失ってたとしても、ある程度は納得できたんじゃないかと思うんだよね。仕方がないとは思えなかったとしても、プロデューサーのせいにして恨みの沼にはまることは少なくともなかった。
だから、私はどうしても…Aさんは、夢の叶え方を間違ってしまったんじゃないかなって…今でもどうしても思ってしまう」
YU☆MEの話を、まだ16歳の凪に伝えたのは酷だったかもしれない。でも今、伝えるべきことのはずだと、ともみは凪をまっすぐに見つめた。
「凪ちゃんは、整形は自分の意志だって確信がある、だからお母さんに反対されてもする、って言ってたよね。でも、その根っこにあるのは、…お母さんのための整形、ってことなんじゃないかな」
「…お母さんのため…?」
私の意見として…もうしばらく聞いてくれる?とともみは続けた。
「凪ちゃんは、お父さんのことが大嫌いで、お父さんに似ていく自分の顔が嫌い。それは今までの話でもよくわかった。でもさっき凪ちゃんが『お母さんが私を見る度に、苦しそうで、悲しそうでつらそうだ』って言った時に思ったの。
凪ちゃんは、自分の顔がお父さんの顔に似てるからイヤだという気持ちより、自分の顔がお母さんを苦しませるのが辛い、っていう気持ちの方が強いんじゃないかな。だから整形は、お母さんのためなんじゃないかなって」
凪の瞳が揺れ、ともみは言葉に精一杯の熱を込めた。
「だからもし凪ちゃんが、今、お母さんに愛されていることを実感できていたら…お母さんが、お父さんを憎んでいなかったとしたら。お父さんに似ている自分の顔が嫌いでも、整形しようとまでは考えなかったんじゃないかなって思うんだけど…どうかな?」
凪は何も答えずうつむき、まだ一度も手を付けていないアイスティーのグラスをぎゅっと握った。
「凪ちゃんが、お母さんを苦しめないために整形したとしても…その手術が失敗する可能性もあるよね?
お父さんに似ている部分が残ってしまうとか、顔が崩れてしまう可能性もある。その時、お母さんのせいにしないって言いきれる?」
プロデューサーを恨み憎んで消えて、今は行方が分からなくなったYU☆MEを想いながらともみは続けた。
「整形が成功したとしても、それでもお母さんとの関係が改善しなかったら?私はお母さんのために整形までしたのに、なんでお母さんは私をわかってくれないの、なんで愛してくれないの、って思っちゃうんじゃないかな」
「…そんなの、今はわかんないよ!でもお母さんに顔も見たくない、出て行きなさいって言われたの。それってこの顔のせいでしょ?この顔のせいでお母さんは苦しいんでしょ?だったらもう、整形する以外にどうしたら…っ」
混乱して悲鳴じみた子どもらしい叫び。凪の目に再び涙が浮かび、あっという間にあふれてこぼれた。凪の対面にいたともみが席をたち、凪の横に座ると、凪はともみの肩に伏せるように体を預け、その泣き声に嗚咽が混じる。
「凪ちゃんって、本当にただ、お母さんが大好きなだけなんだよね」
凪からの返事はない。
「凪ちゃんが、お母さんもお父さんも関係なく、自分のコンプレックスを失くしたいから整形するってことだったら…私だってこんなに、色々言ったりしない。
でも絶対に忘れないで。一度整形したら、もう元には戻らないの。それを誰かのせいだと恨むことになったら、一生自分の顔を好きになれないまま過ごすことになるかもしれないし、私は凪ちゃんに、恨みや後悔を抱いて生きて欲しくない」
ともみは凪の背をゆっくりと撫でながら伝えた。
「まだ、凪ちゃんにはやっていないことが…できることがあると思うよ。容姿が似ていたとしてもお父さんと私は別だと、ちゃんと“私自身”を見て欲しい、向き合って欲しいと、お母さんに伝えてみよう。それでもだめだったら、またその時に考えればいい。私も凪ちゃんと一緒に考えるから。ね?」
ともみの胸に直接響く、凪の嗚咽が激しくなった。しばらくして体を起こした凪は恥ずかしそうに…ともみさんありがとう、と、ぐしゃぐしゃの泣き顔のまま、笑った。
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この記事へのコメント
のこの連載は、片手間で飛ばし読みしたり国語力が足りない人には難しくて感想も出てこないだろうなとは思います。
ともみが言うように凪は本当にお母さんが好きなんだよね。そして多分普通に家庭の温もりとか家族団欒的なのが必要だったのかな。何よりもっと父親からの愛情を受けたかったと思う、自分に対しても母親に対しても。