『蒼人:ごめん、今日も残業で遅くなる。ご飯はそれぞれで食べよう』
― そっか…。でも、これが本当は残業じゃなかったらどうしよう。
昨日も蒼人は「残業」だと言って合コンに行っていたのだ。
― もしかして今日は、合コンに来てた人とサシ飲みしてたりして。
確信はない。でも、化粧室で聞いた「彼女いないらしい」「チャンスじゃん」という女子たちの言葉が耳から離れず、疑い深くなってしまう。
「…責めるのは蒼人の話をちゃんと聞いてからにしよう」
私は荒んだ気持ちで冷蔵庫を開け、納豆のパックを取り出した。レンジで温めた冷凍ご飯の上に、それを無心に乗せる。
箸を機械的に動かしながら私は、自分に言い聞かせる。
「…いやいや。たかが合コン。考えすぎだよね」
きっと、ダンス部の友人たちのようにちゃんと男性経験を積んでいる子なら、言うだろう。
“そんなの、ドシンと構えてればいいのよ”
私はのそのそと寝室に移動し、ベッドに寝そべる。
― ドシンと構えたい。だって。
本音を言えば、「もう婚活したくない」という一心で、彼を許したい気持ちでいっぱいなのだ。
そのとき、スマホの画面が再び光った。
『蒼人:結構遅くなりそうだから、先寝ててね』
メッセージが、彼の淡白な声で脳内再生される。このままでは落ち込みそうだと思った私は、身体を勢いよく起こして、立ち上がった。
「…飲み行くか。私も」
あのホテルのバーに行こう。この前会った、サッパリとした年上女性が来ていて、話を聞いてもらえるかもしれない。
スマホアプリから、タクシーを呼んだ。
◆
ホテルのパワーってすごい、と私は思う。
お呼ばれ用のドレスを着て洗練されたロビーを歩くと、日常のモヤモヤが勝手に晴れていくようだ。
「今夜はここで少し飲んで、気持ちを整えよう。それで、帰ったらちゃんと冷静に、蒼人と話そう」
広々としたエレベーターホールの鏡に、自分を映す。
エレベーターの到着を知らせるベルの音が鳴ったので振り返ると、外国人夫婦とともに、どこかで見覚えのある男性が降りてきた。
「あれ…菜穂?」
― …うわ。なんで?
バッチリ目が合ってしまったのは、20代半ばで約3年間付き合った、5歳上の元カレ・博俊だった。
別れて以来、連絡はとっていなかった。
ただ先日、彼のことをふと思い出して、検索したことがあった。彼は今、渋谷区にレストランを2店舗持って、上手くいっているらしい。
「あ…博俊、久しぶり」
「菜穂、ここのホテルよく来るんだ?」
「え…?」
「実は、こないだも見かけたからさ。ほら、上のバーに一人で来てたでしょう?あの日、俺がドリンク出してたんだ」
「そうなの?」
― 言われてみれば。たしかにあのとき、男性スタッフの視線を感じたような記憶がある。
「びっくり。じゃあ博俊、今はここのバーで働いてるの?」
「うん。というか修行中。来年新しくバーを出そうと思ってて、短期契約でいろいろ教えてもらってる。今日は、海外から来た友達がここに泊まってるから、プライベートで飲みに来てただけだけど」
「そう」
「…今日、一人?よかったらどっか外で飲みに行こうよ」
私は、首を横に振る。
「一人で行ってよ。私、ホテルに飲みに来たんだもん。それに、今付き合ってる人いるし」
すると博俊は苦笑いして、私の肩にポンと手を置いた。
「大丈夫だよ。そんな深い意味で誘ってないって」
彼の苦笑いに、私は逆に恥ずかしくなってしまう。博俊に「深い意味を期待した」みたいに思われるのはしゃくだった。
「…じゃ、軽くだけね」
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元カレと、突然のサシ飲みへ。菜穂の気持ちに、ある変化が…?
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とLINEすればいい。で、妹のおこぼれでももらえば? 弁護士か証券会社勤務の。