こんなふうに恋人のうわさ話が突然耳に入ってきた場合――以前の自分なら、ひっそりと耳をそばだてた気がする。
それがたとえ自分にとってつらい情報だったとしても、事実と向き合いたいと願っていた気がする。
でも今は、とにかく耳をふさぎたい思いだ。
― あれ。なんでこんなに動揺してるんだっけ。
トイレットペーパーを指先でうまくちぎれず、必死に引っ張った。不格好にやぶれた紙を見て、私は、自分が冷静さを失っていることを知る。
まだ、事実と決まったわけじゃないのに。
デスクに戻ったはいいが、目の前のディスプレイの文字が頭に入らない。集中しようと努力しても、何かが胸の内を押しつぶす。
― やっぱり、蒼人はまだ遊びたい盛りなのかな。
もし、早く結婚したいのなら――私は潔く婚活市場に戻ったほうがいいのかもしれない。ウワサを聞いてしまった今こそ、彼から“卒業”する絶好のチャンスなのかもしれない。
とはいえ、想像すると、気が遠くなる。
― また誰かと出会って、趣味や価値観を探り合って、家族構成を聞いたり、連絡の頻度を合わせたりしなきゃいけない?そんなの…もう無理だって。
重苦しさが押し寄せる中、スマホが震えた。
― 蒼人から?
何かしらの釈明が来たような気がしたので、こっそりLINEを開く。
しかし、そこに並んでいた文字は、期待していたものとは大違いだった。
『お母さん:聞いて〜由佳の恋愛がすごい順調なんだよ!証券会社の人と、弁護士さんの二択で迷ってるんだって』
妹・由佳の婚活に関する母からの報告メールだった。がっかりした瞬間、もう一通届く。
『お母さん:ところで菜穂はどうなの?彼氏ができたって由佳から聞いたよ。よかったら今度、うちに連れてきてね』
追い打ちをかけるように、母からのメッセージは続く。
『お母さん:あ、別に菜穂を急かしてるわけじゃないのよ。別に結婚しなくてもいいからね』
言葉はやわらかい。なのに、その裏に潜む微妙な配慮が逆に重くのしかかる。
「恥」に近い感情が、私の胸にモヤモヤと広がった。
母は、いつも無邪気な言葉で私をえぐってくる。
受け流せばいいと思うのに、こんな日はくらってしまう。なんだか悔しくて、思わず涙腺が緩む。
「集中、集中」
私は小さく言葉に出して、パソコン画面に映る複雑なデータに目をうつした。
◆
帰宅すると、部屋の空気は冷え切っていた。
いつもなら蒼人の革靴があるはずなのに、今日はない。いつもなら聞こえるはずの調理音もなく、キッチンは静まり返っている。
スマホを手に取ると、蒼人からLINEの通知が来ていた。それを読み、私はため息をつく。
「…え?そんな」
この記事へのコメント
とLINEすればいい。で、妹のおこぼれでももらえば? 弁護士か証券会社勤務の。