港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。
女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。
タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。
▶前回:「彼女になりたい」曖昧な関係に終止符をうつべく告白した28歳女。男の返事は意外なもので…
カウチソファーの背もたれに寝そべり、頭からかぶったブランケットの暗闇の中でしばらく過ごしているうちに、ともみは気がついた。フラれたことも、恋で涙を流したことも、人生で初めてだということに。
― ある意味、記念すべき誕生日になった、ってことで。
そう考えると悪くない気がしてきてブランケットから頭を出すと、溺れて沈んでいた人がようやく水面に顔を出せた時のような勢いで一気に息苦しさが消えて、ひんやりとした空気に頭も冴えてくる。
見上げた満天の星が、フラれる前よりも輝いて見えるのは被害妄想かなと、ともみは自分をいさめつつ、携帯を確認する。
20時半過ぎ。テラスに出てすでに1時間半が経ってしまっているが、大輝からの着信はない。様子をうかがうことなどせずに、ともみの気がすむまでと料理を待たせてくれているのだろう。
大輝が用意してくれたお祝いを無駄にしたくはなかった。しかもタイミングを誤った自分の愚かな暴走で。
「…よし…!」
気合を入れるために出した声が、静寂の森にやたらと響いて妙に恥ずかしくなった。もしもルビーがこの場にいたら、ともみさんらしくないと爆笑されそうだなと思いながら、大輝にLINEを入れる。
『そろそろリビングに降りても大丈夫?』
すぐに既読になったことで気にしてくれていたのだとむず痒くなる。降りる前に顔の状態を確かめて整えたくて、今日の昼、この別荘に到着した時に大輝がともみの荷物を運び入れてくれた寝室はどこかと聞くと、その場所と共に、焦らず降りてきてねと返信がきた。
テラスと同じ2階にあった寝室…ゲストルームの扉をあけると、壁一面が大きな窓の開放感のある部屋で、すぐにウッディな香りに包まれた。ルームフレグランスだろうか、そこはかとなくジャスミンのような甘さも混じっているような気がする。
クイーンサイズか、キングサイズかもしれない。真っ白なリネンに包まれたとにかく大きなベッドに飛び込み眠ってしまいたい衝動を抑えて、クローゼットらしき引き戸を開ける。
そこには、ともみのボストンバッグと、リビングに置きっ放しにしていたはずのハンドバッグも置かれていた。
おそらく、ともみがベランダにいる間に大輝が運んでくれたのだろう。これでメイク直しもできると安心すると同時に、その抜かりない気遣いに、ともみは笑えてきた。
バスルームを探して扉を開けると驚いた。大人が同時に3人は入れるであろう、巨大な黒い岩をくり抜いたかのようなゴツゴツとしたデザインのバスタブがガラスの壁の前に置かれている。
と思いきや、そのガラスの壁は扉になっていてテラスとつながっていた。扉を開放すれば、半露天風呂になるという作りなのだろう。
隣接する建物もない森の中。しかも広大な私有地の敷地内で覗かれる心配もないということなのだろうが、ともみのような庶民にはどうにも落ち着かない。
― よかった、大丈夫そうだ。
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