バスルームの鏡の前で、ともみは自分の顔…目周りを見てホッとした。
目薬をさし、アイシャドーとマスカラを修正して、よく見れば目がほんの少しだけ赤いかも?というくらいにまではごまかせたところで、ともみはもしかして先に着がえるべきだったかと気がついた。
出張料理とはいえ、一流シェフの料理を頂くのだから、ドライブに合わせた今のニットにジーンズというラフさではない方がいいのかもしれない。
ともみは、淡いブルーのニットのロングワンピースをバッグから取り出した。
胸の谷間や背中が大きく開いているというわけではないけれど、鎖骨が綺麗に見える襟ぐりで、さりげなく体のラインに沿うワンピース。自分の白い肌がその薄水色に溶け込むと、儚げな色気を演出できるということを、ともみは十分に自覚している。
リップはもうすぐ咲き出す桜のつぼみのような、薄紅色に。食器やグラスに残りにくいティントを選んだ。
― 少しは、グッときてくれるかな。
鏡の前で回り、全身をチェックしながらともみは願う。フラれても尚、美しく見られたいと足掻く自分が、とても、とても、悔しいけれど。
◆
「お。その色を着てるの初めてみたけど、すごく似合うね」
ともみを見てそうほほ笑んだ大輝も、先ほどまでのニットとジーンズから張りのある黒いシャツと黒いパンツに着替えていた。
何を着ても様になる男ではあるけれど、ともみは大輝のシャツ姿が好きだ。いわゆる襟付きのシャツ。しかも黒が一番好きだ。
ボタンをひとつだけ外した襟元から覗くしなやかな首のライン、肩から流れる長い腕。その無駄のない体につかず離れずのハリのある黒色のシャツが、大輝の品の良さを際立たせている気がする
うっかり見とれそうになった自分が、こんな時でも美にめっぽう弱く、つまり平常運転であることにともみはホッとした。
てっきりリビングかダイニングで食べるのだと思っていたけれど、リビングを通り抜け、長い廊下を歩いたその先の別室に連れていかれた。扉をあけるとそこはまるで小さな鮨店のようで、カウンターに立つシェフが迎えてくれた。
「ここは、父が好きな料理人の方に存分に腕を振るってもらうために作ったんだ。だからレストランにある調理器具は一通りあって。こっちのほうが三田さんも料理しやすいかなって」
「調理しやすいなんてものじゃないですよ。設備も器具も一流で手入れも行き届いている。全部持って帰りたいくらいです」
そう笑った男性が、長い間ヨーロッパの王族たちの専属シェフを務めてきたというシェフの三田さんで、ともみが予定を遅らせてしまい申し訳なかったと謝ると、全く気にしていないという様子で、食事が始まった。
小さめの陶器のお碗で出された一品目は菜の花と白子の茶わん蒸しで、蓋を開けるとお祝いだからとかわいらしく金粉がちりばめられていた。
フルフルと揺れる茶わん蒸しにそっとレンゲを差し入れ、一口に含むと、出汁の風味が白子のクリーミーな甘みを引き立て、のど越しの余韻にはほんのりとした磯の香りが残る。
二口目の菜の花の苦みには山椒が効いていて、合わせて出されたのは、富山県の酒造が作る、カルト的な人気を誇るというやや辛口の純米酒。少しぬる燗にすることで白子のうま味が引き立つんですよ、というシェフの説明にも納得だった。
そこから、生姜の効いたホワイトアスパラガスの葛煮、鯛や鱧、マグロのお造り、エビとメヒカリの天ぷらと続いた。実はシェフが得意とするというレンコンのきんぴらを箸休め的に食した後、お肉を少しどうかと聞かれて、鴨のローストも頂いた。
「いつも思うけど、ともみちゃんって、お酒強いよねぇ」
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