ひとしきりベッドで幸せを噛み締め尽くした頃には、窓からの景色はすっかり夕闇の中に沈んでいた。
ハッとした私は、うっとりするようなまどろみを振り切り、乱れた髪を整える。そして、亮太郎に尋ねた。
「ね、今日はクリスマスだよ。夜はどうする?何食べる?」
付き合って1年に満たない亮太郎とは、まだクリスマスを一緒に過ごしたことはない。
だけどこれまで、イベントごとは都度大切に過ごしてきたのだ。
私の29歳の誕生日は、箱根の宿で露天風呂付き客室に泊まった。
3ヶ月記念日は、ディズニーシーに行った。
半年記念日は『鮨 波残』でディナーしたあとにザ・リッツ・カールトン東京に泊まったし、亮太郎の誕生日もハレクラニ沖縄にステイしてお祝いした。
はじめて過ごすクリスマスは一体何をするんだろう?
引っ越しの当日という大仕事があった以上、大きなことができるとは思ってはいない。
だけど、たいしたデートはできないまでも、どこか素敵なレストランにディナーに行くくらいのことはきっと企画してくれていると思い込んでいた。
亮太郎の誕生日は私が計画したものの、他のイベントに関しては、亮太郎はいつだって素敵なサプライズを準備してくれていたから。
けれど亮太郎は、上半身裸のまま眠そうにあくびをしながら答える。
「いいよいいよ。これからはずっと一緒にいられるんだから、引っ越した今日くらいはゆっくりして大丈夫」
「え…、ん?どういうこと?」
その言葉の意味がわからずきょとんとする私の頭を、亮太郎は愛おしげにポンポンと叩く。
そして、脱ぎ捨てた服をもう一度身につけながら、屈託のない笑顔で言った。
「引っ越しの当日くらい、ゆっくりしようよ。近くのスーパーでなんか買う?
この近くだとライフか、アトレ恵比寿のザ・ガーデンがどっちも徒歩10分くらいだよ。どっち行こっか」
急激に、頭が冷えていく。
それは、初めて一緒に過ごすクリスマスだというのに、亮太郎が何もデートプランを立てていない…ということにではない。
初めて一緒に過ごすクリスマスだというのに、サプライズを期待して何もかもを亮太郎に任せっきりにしてしまっていた、自分の自惚れっぷりに気が付いたからだった。
「あ…ごめん、やだ。私すっかり勘違いしちゃってたみたい」
「ん?なにが?」
気が付けば、すでにさっさと玄関で靴を履いた亮太郎が、ニコニコと幸せそうに笑いながら手を差し伸べている。
「ううん、なんでもない。じゃあライフ行こ、ライフ!」
私は慌てて笑顔を取り繕うとコートを羽織り、急いで亮太郎の手を握り返した。
ライフ渋谷東店までの往復の道のりは、2人でしっかりと手をつなぎ、肩を寄せ合いながら歩いた。
亮太郎はすべての荷物を持ってくれたし、やっぱりふたりで一緒にいられると嬉しくて嬉しくて、家に着く頃にはまた、私の体は隅々まで幸福で満たされていた。
先に玄関のドアを開けた亮太郎が、寒さで赤くなった鼻をすすりながら言う。
「明里、おかえり」
「えへへ…ただいまっ」
これまで「お邪魔します」というセリフで入っていたドアに、「ただいま」と言える喜び。
その甘く染み入るような感覚は、これまでにもらったことがあるどんなクリスマスプレゼントよりも嬉しかった。
お総菜のチキン。簡単なサラダ。ロゼのシャンパンと、イチゴのサンタが乗ったシンプルなクリスマスケーキ。
ソファの前のコーヒーテーブルにギュウギュウに並べた素朴なディナーは、幸福な生活の味がした。
それからディナーのあと、私が亮太郎にボッテガのキーケースをプレゼントすると、亮太郎は困ったような表情を浮かべて言った。
「ごめん、明里…。俺、準備間に合わなくて。もう一緒に暮らすんだから、こんなふうに頑張らなくていいのに」
「ううん、忙しい中、引っ越しのいろんな手配してくれたし!全然大丈夫だよ、気にしないで!」
“大好きな恋人の家”が“私たちの家”になった幸福感に舞い上がっていた私は、かえって恐縮して首と手をブンブン振り回すことしかできなかった。
亮太郎の申し訳なさそうな口元から放たれた言葉の意味を、そんな私がきちんと理解できるようになるまでは───当然、まだまだ長い時間を要することになる。
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この記事へのコメント
ようやく今後に期待でき...続きを見るそうな連載が始まって良かった!