2. 私たちは、100分先の予測もままならない
たとえば、「朝6時前に起きて、最寄りの駅を午前7時50分に発車する電車に乗れるか」を考えてみます。
出発までおよそ2時間もあるのですから、「余裕」と思われるかもしれません。しかし実際には、少しの余裕もないのです。
・起床後の着替えとトイレと洗顔 19分
・髭剃りと髭剃り後の掃除 10分
・コーヒーをいれて朝食を用意する 10分
・朝食と歯磨き 37分
・トイレ 10分
・着替え 6分
・必要な持ち物の用意 7分
・出発準備 5分
・徒歩まで駅までの移動 15分
すべてを合わせると119分です。
つまり2時間前に起きてちょうどいいのです。起床してすぐのときには、「うまくいけばやれそうだ」と考えていた「ちょっとした仕事」や「散歩」などどうやっても盛り込めません。
このように、決まりきった用事をただひたすら実行するだけの100分先の予測すら、私たちにはままなりません。
それなのに「来週までにこの仕事ができる?」と、上司から問われて正しく答えられるでしょうか。
まして100日後を締め切りにして、それで日数が足りるかどうかなど決してわかりません。
にもかかわらず私たちは、
①仕事にかかる時間を見積もりたがる
②その見積もりは「おおよそ正しい」と信じてしまう
ものなのです。まず私が提案したいのは、①と②を両方とも徹底的にやめることです。
作業にかかる時間を見積もり、その見積もりを信じようとする限り「心の消耗」を避けることはできません。
多くの仕事や致命的な出来事に襲われると、その人の「心の許容量」を超えてしまうことがあります。許容量を超えなくても、ギリギリの負担が続くと「心は消耗する」と考えてください。
多くの人は「だから消耗しないために時間の余裕をもつべきだ」と考えてしまいます。しかし、その考えだけではうまくいかないでしょう。理由は繰り返しになりますが、私たちは誰もが「仕事にかかる時間を見積もり、その数字を信じたがる」せいです。
人間には「タスクにかかる時間を見積もる能力」はありません。先を読む予知能力もまったくありません。しかし「私にはある!」と信じる傾向が強いのです。以上を前提としなければなりません。
3. なにが起きても「消耗しない」と決める=「間に合うはず」と信じるのをやめる
「わたしたちは誰もが時間を見積もりたがるが、その予想は正しくない」と前述しました。
ここで大事なのは、仕事の約束を守れなかったり、締め切りを破ってしまったりするアクシデントは必ず起こるが、そのことで心を消耗しないということです。
だから「心を消耗しない」と自分で決めるのです。ここで揺らぐと「心の消耗」から逃れられる日は永遠に来ないでしょう。
そもそも「間に合うわけがない」と心の準備をしておけば、締め切りを守れない可能性が出てきても、そのことを自分の心で受けとめることができれば、心は消耗しません。
もしあなたが、電車の時間に間に合うか乗り遅れるか、社内プレゼンの準備をどうするか、などといった具体的でちょっとした計画を立てたくなったら、時間の見積もりを含んだ細かいリストを作成してみましょう。
そして実際はどうだったかを、つぶさに観察して記録しましょう。
まず100パーセントといっていいほど、最初の予想は無茶苦茶なはずです。それでも予想するのは、やめられないでしょう。誰もがそうなのです。
繰り返しますが誰もが
①仕事にかかる時間を見積もりたがる
②その見積もりは確実に間違っているが「おおよそ正しい」
と信じてしまうものなのです。
「心を消耗しない」と自分で確定できれば、締め切りや時間のことで自分も他人も責めなくなります。責めなければ、消耗もめっきり少なくなるはずです。
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