SPECIAL TALK Vol.117

~1杯で幸せになる利他的なコーヒーを目指して~


俳優として挫折し、コーヒーの奥深さに出合う


金丸:自分が選んだ俳優という道に見切りをつけて、次は何をされたのですか?

大塚:『南蛮屋』というコーヒー豆屋さんの下高井戸店でアルバイトを始めました。

金丸:きっかけは?

大塚:そこで働いている友人から声をかけられたんです。

金丸:「暇ならどうだ」と?

大塚:まさに。僕が燃え尽きたというか、途方に暮れているのを見て。

金丸:いい友人ですね。もともとコーヒーは好きだったんですか?

大塚:スターバックスにカフェラテを飲みに行くぐらいのレベルです。20歳の頃、俳優として泣かず飛ばずで、心を閉ざしてしまったことがあって。それでもスタバに行くと、店員さんと会話するので。

金丸:避難所みたいな存在だったんですね。

大塚:そうですね。だからコーヒーが好きというより、単純におしゃべりに行くような感じでした。

金丸:バイト先はカフェではなく、コーヒー豆屋。だけど、そこでの経験が猿田彦珈琲に繋がるんですよね。

大塚:そうです。働きだしてすぐの頃、コーヒー豆の催事に連れていってもらって、その熱量に感動したんですよ。言い方はあれですが、コーヒー大好きなおじさんたちが集まる大人の文化祭みたいな。でも同時に「あ、これ、問題があるな」って。

金丸:問題とは?

大塚:コーヒー豆屋の集まりなので、売り物は豆や粉です。だけど、いい豆や粉を売ったとしても、美味しく飲めるかは別の話です。

金丸:みんながみんな、自宅でちゃんとコーヒーをいれられるとは限らない。

大塚:そう。「買って帰った人たちは、自分でちゃんといれられるかどうかって不安なんじゃないか」って。粉の挽目、粉の量、お湯の温度、抽出時間、抽出する量。少なくとも変数が5つありますから。だったら、最初から豆じゃなくて液体で提供したらいいじゃんって。

金丸:それこそスタバだって流行しているんだし。

大塚:でも当時、スペシャルティコーヒー屋さんって、みんな豆を売るのが基本でした。「いや、コーヒーを飲ませた方がいい」と気づいたのが、バイトを始めて2ヶ月くらい。3ヶ月目には、事業計画書を書いて、社長に渡していました。

金丸:動きが早いですね。そして、それが通らなかったから、猿田彦珈琲が生まれたんですか?

大塚:結果的にはそうですね。社長には「これ何屋なの?」って言われました。当時はその業態が日本になかったから、仕方ないと言えば仕方ないのですが。でも、その後も、ノルウェーとかに、いまでいうコーヒースタンドみたいなバーがいくつかできているという記事を見つけて、「やっぱり、いまはこういうのが求められているんだ。絶対やった方がいい」と。

金丸:日本にはもともと喫茶店文化があったし、チェーン店の喫茶店もありました。そこにマーケティングの塊みたいなスターバックスが上陸した。おしゃれなぶん、コーヒーは高かったけど、受け入れられた。要は、安売りのチェーン店を客は求めているわけじゃないんです。

大塚:それはそうですね。安売りすることはまったく考えなかったです。その後も「早くコーヒーにして売った方がいい」って、生意気にずっと言っていました。

金丸:お話を聞いていて、日本の米を取り巻く状況と似ているなと感じました。米って、素材をそのまま売っています。でも、それだと付加価値が生まれないんですよ。

大塚:僕はちゃんと選ばれた豆で丁寧にいれられたコーヒーの美味しさを知ったから、なおさらもったいないと思いました。入って半年くらいで、コーヒーマイスターの資格を取るくらいのめり込んだし。

金丸:『南蛮屋』では、どのくらい働いたんですか?

大塚:4年くらいです。独立に向けて動き出したのが、2010年の年末くらい。オープンしたのが半年後の2011年6月ですね。

仲間に助けられてオープンした猿田彦珈琲


金丸:たしか猿田彦珈琲の1号店って、すごく小さかったですよね。

大塚:はい。8.7坪ですから。

金丸:ちなみに、なぜ恵比寿に出店されたんですか?

大塚:1号店はアパレルやITの人たちがたくさん働いている恵比寿か三軒茶屋がいいと思っていたんです。自分がグループから浮いているように感じていたという話をしましたが、恵比寿や三茶の人たちは僕を受け入れてくれそうだなって。

金丸:街のカラーからそう感じたんですね。

大塚:ただ、友人が三茶にコーヒー屋を出したので、衝突するのは嫌だなと思って、恵比寿で物件を探しました。

金丸:そしてたどり着いたのが、いまの場所だった。

大塚:すごい競争率だったんですよ。僕を含めて14人が狙っていて。だけど、もともと喫茶店が入っていた物件だったこともあり、大家さんの意向もあって僕が入ることに。

金丸:すごい。俳優を諦めた時は「ツキがなかった」ということでしたが、今度はツキが回ってきたんですね。

大塚:まあ、店舗を見つけたといっても、普通なら怒られるくらいの見切り発車でした。保証金を入れたら予算の3倍くらいになって。

金丸:いきなり資金の危機(笑)。融資は受けなかったんですね。

大塚:融資というか、友人を駆け回って「お金貸してくれ!」って。

金丸:それで貸してくれる友人がいるっていうのが、ありがたいことですよ。

大塚:物件を借りるために入金を終えた時点で、手元に残ったのが5,000円くらい。業者に内装を頼めないので、そこでも友人たちの力を借りてDIYで。そもそも物件を借りるための資金も、友人に借りたお金なんですけどね。

金丸:ええっ(笑)。

大塚:あるとき、『南蛮屋』の同僚に「独立する」と話したんです。そしたら数日後に「銀行口座を教えて」と電話がかかってきて。教えたらすぐ電話が来て、「100万円振り込んだ」と。

金丸:大塚さん、人望があり過ぎませんか?

大塚:しかも、その同僚とは、職場以外ではランチに一度行ったくらいの仲で。

金丸:それだけ応援したくなる何かがあったんでしょうね。1号店は最初から順調だったんですか?

大塚:ありがたいことに、オープン初日に200人ものお客様が。

金丸:200人!なんでまた、それほどの人を集めることができたんですか?

大塚:それも運なんです。オープンの準備中に、地域情報を発信している方から「何をやるんですか?」と声をかけられて。さらに、その方のブログ記事を見た人から取材の申し込みがあり。

金丸:オープン前から注目度抜群だったんですね。ちなみに、豆はどこから仕入れたんですか?

大塚:最初は小さな豆屋さんから、焼いた状態で卸してもらいました。でも、2年しないうちに、もっと理想を追いかけたくなって、自分たちで焼いてみようと。そこからかなりの期間、丸山珈琲さんにお世話になりました。

金丸:丸山珈琲というと軽井沢の?

大塚:そうです。丸山健太郎さんに出会ったおかげで、単に豆を仕入れるだけじゃなく、産地にもご一緒させてもらうようになりました。

金丸:最初のうちは話題性で引きつけられても、その後は質が問われます。大塚さんの豆へのこだわりが受け入れられたんですね。

大塚:あとは接客ですね。やっぱり僕自身がスタバの店員さんとのコミュニケーションで助けられたという思い出があるので、お客さんとは人間同士のやり取りをしたかった。そこも含めて地元の人や恵比寿で働く人たちに評価してもらえたんだと思います。

金丸:その後、2号店はいつオープンされたんですか?

大塚:2015年の2月です。資金がなかったので、3年半もかかりました(笑)。故郷の仙川で、僕たちの目指す「たった1杯で幸せになるコーヒー屋」を実現できそうないい物件が見つかったんです。

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