報われない男 Vol.7

「22時までに弘前のさくらまつりへ行きたい」青森への出張中に上司を先に帰らせ、意中の彼女と…

― あれから連絡ないな。

美里が大輝を訪ねてきてから2週間程。その間1度も美里からのLINEはきていない。

― そういえば、前にどこかであったことあるか、聞き忘れたな。

京子をタクシーに乗せたあの日、美里と目が合った一瞬。大輝はその顔に既視感を覚えた。そのことを美里に尋ね忘れたことにふと気がついたが、今はそれよりも…あんなことを言う資格は自分にはなかったなと、恥ずかしく反省し、美里に謝りたい気持ちの方が強い。

今、ホタテとキノコのクリーム煮を美味しそうに頬張る京子の隣にいられるだけで、うれしくて仕方がないのだから、大輝にも美里の思いは十分理解できたはずなのに。

今、大輝は香川教授と京子の出張に、アシスタントとして同行し青森にいる。青森は香川教授の地元で、その出張の1日目、地元新聞社での教授と京子の対談形式のインタビューと高校生への特別講義が無事に終わって、3人で教授オススメの店に食事に来たところだ。

大輝としては…飲み始めたら長いと有名な香川教授とは別行動で、京子2人きりで夕食でも…と狙っていたのだが、連れて行きたい店があるという教授に、京子が是非と即答してしまったのだ。

「ホタテが…肉厚で、このソースも本当に美味しい」

京子の言葉に、そうだろ、そうだろ、と上機嫌に頷く香川教授が連れてきてくれたのは、フレンチの店で、てっきり郷土料理の和食の店だろうと思っていた京子と大輝の予想は外れた。

弘前はフランス料理の街と呼ばれているんだぞ、と地元自慢を始めた教授によると、弘前の駅前だけでも、10軒近くのフレンチレストランがあるらしい。

中でも教授は老舗と言われるこの店がお気に入りで、いわゆる東京の名店と呼ばれる店のフレンチを幼い頃から食べ慣れている大輝でも、価格設定は東京の半額以下なのに…とそのクオリティの高さに驚いた。


地元の食材を活かすメニューを開発し、弘前をフランス料理の街にするために奮闘したシェフの話を聞くなどしているうちに、教授の顔は赤くなり、声が大きくなっている。それは教授が酔っ払ってきたというサインで、それでも次を注文しようとした教授を、京子がこのあたりでお酒はもう…と止めた。

「……もしかして、わざと?」

教授がふらふらとトイレに立った時、京子が大輝に聞いた。さすが売れっ子脚本家は観察眼が鋭いと思いながら、大輝は、何がですか?ととぼけたが、その通りだった。実は…大輝は、いつもよりほんの少しだが、ハイペースで教授のグラスにワインを注ぎ続けていたのだ。

桜祭りが開催中だから、京子と2人で夜桜を見に行くのもいいな、とか、寒かったらやっぱりBARかな、など、大輝は弘前の街を下調べしていた。その下調べを無駄にしないためにも、教授に2軒目、3軒目と連れまわされるわけにはいかない。そんな大輝の計画は順調に進み。

最後のデザート、弘前のリンゴを使ったアップルパイが出てきた頃には、教授は座ったまま、うとうととし始めていた。それでもまだ飲むと言った教授を、明日もありますからと帰宅を促し、タクシーに乗せることに成功したのだ。

― 教授、すみません……!!

心の中で謝りながら、大輝は運転手に紙に書いた教授の実家の住所を渡した。走り去るタクシーを見送ってから京子を振り返る。

「……もう今日は解散、なんて言いませんよね…?」

そう言って京子の反応を待った大輝に、京子が笑って、そしてゆっくり歩み寄った。

この記事へのコメント

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No Name
大輝の性格の良さが伝わってきた。
2024/03/30 06:2039
No Name
長坂、調子に乗り過ぎてて腹立たしい。 最後はしっかりとお灸を据えられる展開であって欲しいね。
2024/03/30 06:1934返信2件
No Name
大輝に恋を教わったら、キョウコは無敵の脚本家になれそう。1人の女性・京子としても成長するだろうね。それを崇とやれていないのは情けないけど。
2024/03/30 05:5028
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