離婚カレンダー〜夫婦の正しい終わり方〜 Vol.1

有明のマンションを“仕事部屋”として借りた夫が帰ってこない。離婚の危機に陥った34歳主婦は…

「えっ?部屋ってなんのための?」

光朗からの唐突な報告に、楓の声は意図せず裏返った。

「あはは。なんて声を出してるの」

あまりにも仕事が忙しいため、オフィスの近くに部屋を借りた。そうすれば、ちょっと休憩時間に休んだり、また遅くなる時は泊まったりすることもできる…と、光朗はさらりと理由を説明する。

「そんなに忙しいの?わざわざ部屋を借りるほど?」

確かに、最近仕事が忙しいようで、帰ってくるのは21時以降になることがほとんどだ。

「心配しなくていいよ。40越えたあたりから、体力衰えてさ」

部屋をもう一つ借りるくらいなら、はじめからオフィスの近くに住んでも良かったのに。と、楓は思う。

光朗のオフィスは有明にあり、自宅を購入するときにはベイエリアも候補に挙がったのだ。けれどその時、「もっと娘の教育環境がいい場所に住もう」と提案したのは、光朗の方だった。

仕事で疲れている光朗を、追い詰めたい気持ちは微塵もない。楓は、ふと思い出したそんな経緯を振り切ると、ねぎらいの言葉をかけた。

「わかった。体の方が大事だもんね!無理しないで頑張って」



サツキの花が咲き誇る、5月の公園の帰り道。

花奈にぎゅっと手を掴まれて、楓は我に返った。

「ねえ、ママってば!パパって今日帰ってくる?」

「うーん、どうだろう。パパ、お仕事忙しいみたいだから、お家帰ったらLINEで聞いてみようか?」


1ヶ月前の夜、「部屋を借りた」と報告を受けて以降、光朗は明らかに変わった。

しばらくは、2日に一度程度のペースだった帰宅は、いつのまにか3日に一度に。次第にさらに間が空いていき、今では週末に帰ってくればまだまし、というレベルになっている。

それでも最初の方は、LINEのやりとりも今までどおり頻繁にあった。いや、頻繁というのは楓からのLINEであって、それに対しての返信がちゃんと返ってきたという意味だ。

そして、今日は土曜日なのに、光朗は自宅にいない。

花奈と2人の休日を持て余した楓は、近所の公園を散歩しカフェに立ち寄り帰る途中だが、心がざわざわとして落ち着かなかった。

― 3日前に送ったLINE、返ってこなかったし…。どうしたんだろう?

電話をしても、出たためしがない。

妻には言えない悩みがあるのかもしれない。不安がない、といえば嘘になる。

― もしかしたら、私に言えない重病が見つかったとか?

― 仕事がうまくいってないとか?

あらぬ妄想が次から次へと湧き上がる。

「はぁ…」

深いため息をついた時、背後からポンと肩を叩かれた。

「やだ、大きなため息。幸せ逃げちゃうよ?」

振り向いた先にいたのは、楓の5歳下の妹・麻美だった。「遊びに行く」という連絡を昨日もらっていたことを、すっかり忘れていた。

慌てて麻美を家へと招き入れた楓は、急いでロイヤル コペンハーゲンのカップを取り出し、コーヒーマシンにカプセルをセットする。

「コーヒーでいいよね?」

けれど、その問いに答える前に、麻美は無邪気に尋ねてくるのだった。

「あれ、お義兄さんはお仕事?」

「あ、うん…」と口ごもっていると、花奈が横から口を挟んだ。

「ねえ、ママ、パパにLINEは?いつ帰ってくるか聞いてよ」

花奈の様子を見て、麻美は察したようだ。

「なに?お義兄さん帰ってきてないの?出張…とか?」

「う、うん…それが…。花奈、Netflixでも見る?」

楓は娘に配慮すると、1ヶ月前からの経緯を麻美に打ち明けはじめるのだった。


「実は…1ヶ月前に仕事の休憩用に部屋を借りてから、わざわざ帰ってくるのが面倒になっちゃったみたいなの」

「面倒って。たかだか有明からここまでって、車で40分もあれば着くけど」

麻美の指摘に、楓の心は鬱々と沈んでいく。

「何かあったのか心配なんだけど、電話もでなくて…」

「お姉ちゃんって、能天気というか。なんというか…」

何か言いたげな妹から目線を逸らした先のテーブルの端に、朝とってきた郵便物の束が放置されていた。楓は、それを引き寄せ、無言でダイレクトメールや封書を仕分ける。

「だって、疑う理由がないんだもん。仲良くやってたし…。本人と話せてないし」

これは楓の本心だった。

けれど、次の瞬間。楓はふいに手を止めた。

手にした封書に、「楓へ」という表書きがあったからだ。

そしてその字体には、見覚えがあった。

「これ…」

封書を手にフリーズしている楓に、麻美が気づく。

楓は手に持った封筒を指でこじ開けるように開封し、中身を取り出し、開いた。

途端、楓の頬につーっと一粒の涙が流れ落ちる。

「お、お姉ちゃん、大丈夫?」

おろおろとしながら問いかける麻美の声が、遠い。

「どうして…?」

そう小さくつぶやきながら楓は、愛する夫の名前がすでに書き込まれている緑の紙──離婚届を、まじまじと見つめた。

この記事へのコメント

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No Name
計画的に家を出て妻からの電話はガン無視、でいきなり離婚届をポストに入れるとか、無責任過ぎて。 話し合いとか理由の説明もなしに判押してもらえるとでも思ってる?笑
2024/04/11 05:3553返信1件
No Name
光朗には彼女がいるよね。
何の相談も無しに「有明に部屋を借りたんだ、事後報告で悪いんだけど」って。そこで何となく楓も怪しいと気付かないきゃ。 仕事が上手くいってない?重病? とか随分おっとり構えてるなと。
2024/04/11 05:1937
No Name
楓もぼんやりしてそうだし専業主婦でこの先もずっと...と思ってた矢先に離婚なんて、キツいよねぇ。“ふざけた付箋夫” も大概だけど😂
2024/04/11 05:3828
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