「美羽子と昔、渋谷で飲んだことがあったんだよ。
帰り道、スクランブル交差点のあたりでネオンを見上げて、美羽子は『いつかあそこに自分の書いたコピーを載せたい』って言ったんだ」
― もちろん、覚えてる。
忘れられない。
― 大学時代、毎日のように思ってたもん。
思い出さないようにしていた夢が、蘇る。
美羽子は、ずっとコピーライターに憧れていた。高校時代から毎月何冊も関連書籍を読み、お金がないなか、数回コピーライティングのスクールにも行った。
「恥ずかしい。思い出したくない」
「なんで?美羽子のああいう、夢を口にするところ好きだったけど」
「夢を口にして美しいのは、学生の特権よ」
夢も、努力も、むなしく散った。意気揚々と受けた広告系の企業は、全滅だった。
旅行会社に入るとき、憧れに固く蓋をした。
「もう今は、コピーライターには興味ないんだ?」
「…うーん。もういいかな。正直、始めるなら20代半ばまでだったと思うし」
研吾は「そうかな?」と優しい声で言う。
「今の美羽子の方が夢に近いところにいるんじゃない?」
「なんで?」
「詳しくはないけれど、人生経験を積んできた人のほうがいいもの書けるんじゃないの?」
「…でも、今さらよ。あと1年で30になる」
「まだ30、な」
研吾は茶化すように笑ってくれたが、美羽子はやはり居心地が悪い。
「箱根駅伝、見た?」と無理やり話題を切り替えた。
◆
レストランを出て、スクランブル交差点にやってきた。
見上げた夜空に、ドーンと大きな化粧品会社の広告。美羽子は、かっこいいなと見とれてしまう。
そのとき、研吾がゆったりした口調で言った。
「今さら、は禁句にしようよ」
「え?」
「だって、一度でも『今さら』って言ってしまったらさ、この先の人生が縮んでいく感じがしない?」
真面目な顔で「俺はね、そう思う」と付け加える。
「いや、もちろん美羽子の事情やタイミングもあると思うけれどね」
研吾は昔からこうやって、優しく背中を押してくれる。
― 研吾の人柄、やっぱり好きだ。
久しぶりに心の中に、沸点を感じる。
コピーライティングと、研吾への恋。
諦めていたつもりだった夢が2つ、にわかに動き出した。
「ありがとう。頑張ってみる」
「おう。無理せずな」
大学時代から大好きだった、その笑顔。
「ねえ、研吾」
「ん?」
「…また会える?いや、彼女さんとかいたら、申し訳ないからやめるけど」
「もちろん、また会おうよ。…彼女は、いないし」
研吾は、照れた表情をした。
「寒いけど、気をつけて帰ってな。すぐ連絡するわ」
「うん。私も」
あと少しで、春が来る。
美羽子は明るい予感に満ちた心で、研吾に小さく手を振った。
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