2024.01.27
アオハルなんて甘すぎる Vol.1その年は、とにかく暑かった。
気温40℃超えが何日も当たり前のように続いた夏。その猛暑の熱が、11月に入ったというのに往生際悪く居座り続けて、秋の気配などまるで感じられなかった暑い夜。
ある街で《私の青春》が始まった。 ある街とは…東京・港区・西麻布。
その時の私は28歳の誕生日を1ヶ月後に控えた、いわば立派な大人。私にとっての青春…今風に言うなら《アオハル》というものは、その響きだけで気恥ずかしくなるような、遥か過去の遺物…のはずだった。
でも。
《大人の青春》
この街で始まったみんなとの時間を表すのに、これ以上ピッタリな言葉はないと思う。
年齢なんて関係ない。この街に戻れば、私たちはいつでも《青春》を取り戻すことができる。
朝までバカ笑いしたり、大ゲンカしたり、誰かのために本気で怒り、泣いた…友情。
会いたくてドキドキして、でもうまくいかなくて本気で傷ついた…恋愛。
『リッチでビターで強欲で。大人の青春って最高でしょ。アオハルなんて甘すぎるのよ』
何かと無難に生きてきた私に【もう大人なんだから仕方ない】という諦めを取り払うことを教えてくれた人は、そう言って華やかに笑った。
これは想定内の人生を選びがちな、はしゃぐことを忘れた大人たちに送る大人の青春物語です。
お姉さん1人ぃ?飲み行こ!俺らと飲み行こ!
さわんな、キモイっつーの!
お姉さん、こえぇぇー!でも俺、気の強い女子好きぃ!
ぎゃっはっはは!
18時30分過ぎの西麻布交差点。ホブソンズの前から西麻布2丁目方向へと向かう横断歩道は、今日もだいぶ賑やかだ。
自分のほうへ向かってくる酔っ払いたちを、できるだけ見ないようにしながら、佐々木宝(ささきたから)は、親友の友香に指定された待ち合わせ場所に向かっていた。
― あー、もう、あっつい!
スマホを確認すると、ホーム画面に示された気温は27℃だった。今日は11月3日、季節はずれの暑さにうんざりすると同時に、ちょうど1ヶ月後に、自分が28歳になることに気がついた。
― まさか自分が、この街に引っ越すことになるなんて。
人生には何が起こるか分からないというけれど、去年の誕生日からはまさに想像もつかない、つくはずもなかったこの街への引っ越し。
「真面目、堅実、そして地味」
そう言われがちな宝にとって、最も縁がなかったエリアに住むことになるのだ。
慣れない街で、自然と急ぎ足になる。汗だくになってはいけないとジャケットを脱いだものの、熱は消えない。その上、今夜の待ち合わせに指定された場所が、オシャレなBarらしいということで、店が近づくにつれて緊張感も増していた。
横断歩道を渡り切ると、今度はアルコールの缶を手に、ガードレールや地べたに座り込み騒いでいる集団がいた。その前を通り過ぎようとしたとき。
― ドンっ
集団の1人が急に立ち上り、宝にぶつかる。転ぶかと思った瞬間、後ろから1人の男性に抱き留められた。
「お姉さんごめん!大丈夫?」
「………ダイジョブ、です」
上からのぞきこんできた男の顔に、思わず息を呑んだ。
― 美……圧倒的、美。
間違いなく男性のはず。ただその顔は、かっこいいというより美しい。
「…お姉さん?大丈夫?足とかひねってない?ホントごめんね、オレがぶつかっちゃったから」
美しい顔が至近距離で喋り出したことで、心拍数がギュンっと上がり苦しくなる。これはマズイ、と慌てた宝は、ゼンゼン、ダイジョウブ、デスと片言になりながらも、なんとかその腕をすり抜けた。
お詫びに一杯おごらせて、と言った美しい人を、ケッコウデス、と置き去りに、逃げるようにその場を立ち去った。待ち合わせに遅れるわけにはいかないし、知らない人におごられる、という価値観を宝は持ち合わせてはいないのだ。
― えっと…ここを右、か。
ちなみに宝は地図が読める女で、これまで道に迷ったことは一度もない。絶対の自信を持ってずんずん進むうちに、いつの間にか喧騒は消え、静かすぎるほどのエリア、目的地にたどり着いた。それは白いビルというのか、とにかく白い建物で、ここで間違いはないはずだったが。
「…入り口、どこ…」
入り口らしきものが見つからない。看板もない。何か困ったら連絡して、と教えられていた店の電話番号にかけようとした、その時。
「Sneet(スニート)に来たの?」
声の方向を振り返ると、存在感のある女性が立っていた。
カールされた長い髪、目力の強い派手顔。がっつりと胸元のあいたワンピースからは今にもはじけて飛び出そうな、胸の谷間が目に入る。
Sneet(スニート)は、まさしく待ち合わせに指定された店の名だったので、宝は店内で待ち合わせをしていることを告げた。が、女性は興味を示さず、新たな質問をしてくる。
「ちなみに、何ちゃん?」
「え?」
「あなたの名前。何ちゃん?」
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