2024.01.27
アオハルなんて甘すぎる Vol.1「えっと、佐々木です」
「きゃはははは、普通、下の名前答えるよね、こういう場合。あれ?ささき、ってもしかして、下の名前?…ってそんなわけあるかい!」
自己完結で爆笑した女性に、かなりの酔っ払いであることを確信した。ニッポン人的自己紹介は、圧倒的に名字からだと思いますよ、と突っ込みたい気持ちをぐっとこらえる。
酔っ払っている人と絡むのは全くもって得意ではないが、店の入り口は教えてもらいたい。だから「佐々木宝です」と名乗りなおして、ペコリ、と頭を下げた。
「宝ちゃん!かんわいいぃぃぃ名前。ご両親の気持ちがだだもれしちゃってる良い名前だねぇ。宝ちゃんご両親の宝物なんだね…泣けちゃう…」
― え?泣く?情緒すごいな、この人。
怖い。本能的に後ずさった宝の腕を、女性がぐっと、捕まえた。
「えっ!?」
「出会いに乾杯しよ♡」
「…っち、ちょっと」
「ちなみに私は愛。愛ちゃんって呼んでね♡」
とろんとした視線と、バニラのような香り。愛から放たれるものに宝がドギマギしているうちにぐいぐいと引っ張られ、宝はいつの間にか店の中にいた。
ちなみに入り口は建物の横、細い階段を上がった2階にあった。
うながされ、ソファ席に座る。予想外の展開ではあるけれど、待ち合わせの5分前に着いたことを確認し、ひとまずほっとする。
薄暗くて店の全貌は見えない。でもいかにも高級そうな間接照明がレイアウトされた店内のセンスが良いことは十分にわかる。先客は2組いて、その全員の服装がおしゃれ。佇まいも洗練されていた。
地味な自分がひどく場違いに思えていたたまれなくなったものの、とりあえず待ち人が来るまでは逃げ出すわけにはいかない。
― 愛さんなら知ってるかな?
「あの…愛さん、私、友達の紹介で、この店の常連客の人と待ち合わせしてるんです。名前は…」
「…あ、い、ちゃ、ん!」
「え?」
「愛ちゃん、って呼ぶって約束したのにぃ。あ、もしかして私のこと、相当年上だと思ってる?年食ってるくせに、若作りしすぎ、ってバカにしてる?」
「…いや、約束はしてませんし、バカにもしてません」
「まぁ、とりあえず乾杯しよ!宝ちゃんと私が出会えた奇跡ってすごくない?」
「いや、だから私が人と待ち合わせをしてるって話を…」
「店長~いつものシャンパン1本!」
宝の話は完全無視でピンっと手を上げた愛に脱力した瞬間、入り口から男の声が聞こえた。
「愛~。若い子に迷惑かけるなって。今日はもう飲むな」
男性が愛の手を下ろしながら、宝に向かってほほ笑む。
― もしかして。
「あ!雄大じゃーん。一緒に飲もうよ、私がシャンパンあけるから!あ、この子は、宝ちゃんでーす!」
「知ってる。その子、たぶん、俺と待ち合わせの子。友香ちゃんの友達の佐々木さん、だよね?」
「はい、佐々木です」
「川上です。川上雄大。初めまして」
どうやら、宝の待ち人来たり、だ。
「えー。宝ちゃんと雄大が待ち合わせなんて、どういうことぉー???」
酔っ払い特有の舌足らずな口調で、愛は雄大の首に腕を回して問い詰める。雄大はそんな愛を苦笑いで引きはがしながら、もう飲むなよ、と優しくさとす。2人の距離感が妙に生々しく見えてドキドキしてしまい、宝は携帯を見るふりをして目をそらした。
結局愛は強制退場となった。はじめはまだ飲むと騒いでいたものの、帰りはオレが送るからそれまで寝てろ、という雄大の説得が決め手となり、今は奥にある従業員の部屋で眠っているらしい。
「宝ちゃんだっけ?」
「はい」
「なんか愛がごめんね。彼女、いつもはあんなに酔っぱらわないんだけど、今日は昼から飲んでたみたいで」
「…昼から、ですか」
「今日、この辺り、一年に一度のお祭りなんだよ。昼から色んな店がオープンして飲み歩けるようになってるの。西麻布・太陽祭っていうんだけどね」
「太陽、祭」
「ここに来るまでに、街中で飲んでる人もいたでしょ?変な奴に絡まれなかった?」
「…はい、とりあえず」
だから早い時間から酔っ払いが多かったのか、と納得しつつ、絡んできたのは、愛さん…もとい、愛ちゃんだけです、とか、あの美しい男の人も、お祭りだから外で飲んでたんだな、とか考えているうちに、シャンパンが注がれ、雄大と初めましての乾杯をした。
「引っ越しおめでとう」
「ありがとうございます」
「武蔵小金井の方からだっけ?」
「はい」
宝が5年住んでいた武蔵小金井から西麻布へ引っ越してきたのは、1週間前。
西麻布の家賃は、宝の収入では精いっぱいの1K・13万3,000円。築35年の古いマンションではあるものの、作りはしっかりしていたし、日当たりのよい3階の角部屋に満足していた。
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