2023.12.20
“Twitter”上にツリー形式の東京物語を連投し、現代人の抱える葛藤を巧みに描く麻布競馬場。
“タワマン文学”という新しいトレンドを生み出した彼による、東京カレンダーのエリア特集と連動した「街エッセイ」もついに最終回!
進化を続ける港区で彼が最近足繁く通うお店、そしてこの街に対する思いを語ってもらった。
【これまでの街エッセイはこちら!】
vol.01 「東麻布は麻布十番じゃない」と言う女。
vol.02 港区おじさんと、22時の麻婆豆腐。
vol.03 選ばなかった人生と、恵比寿のカスエラ。
『キャンティ物語』(野地秩嘉著・幻冬舎文庫)という本がある。
その名のとおり、飯倉の老舗イタリア料理店『キャンティ』のオーナーである川添浩史・梶子夫妻と、彼らのお店に集ったスターや文化人たちが過ごした長くて短い、そして痛々しいほどに美しくて儚い十数年がそこに描かれている。
さまざまなフィールドで時代を彩った若き才能たちを、あるいはブイヤベースに燗酒を合わせたがるような厄介な食通たちを、「パパ」「タンタン」と呼ばれた川添夫妻は愛おしく見守り、手厚く庇護し、時には悪戯っぽく笑いながらちょっかいを出す。
そこで過ごした日々は、彼ら全員にとって生涯忘れ得ぬものになったに違いない。
数年前、その『キャンティ』を初めて訪問する機会があった。薄暗く落ち着いた雰囲気の地下一階。赤と白のチェックのクロス。前菜を恭しく運んでくるワゴン……。
印象に残るものはたくさんあったが、その中でも僕が特に覚えているものがふたつ。
まずひとつ目は、開店当時からレシピを変えていないという、大葉とパセリをふんだんに用いた名物「スパゲッティ バジリコ」。
それからふたつ目は、隣のテーブルにいた3人組のお客さんたち。
ダークカラーのスーツをきちんと着込んだ40代中盤くらいの男性たちは、席につくなりジャケットを脱ぎ、ネクタイをほどき、「さぁ〜食うぞ食うぞ!」と宣言したかと思うと、いかにも手慣れた様子で旨そうなメニューやボトルワインを次々と頼んだ。
耳に入ってくる会話を聞くに、どうもこのあたりの会社の経営者仲間らしい。
普段は肩肘張って生きているであろう人たちが、求められる品性の水準をきちんと維持しつつも、しかし随分寛いだ様子で好き勝手飲み食いしている――
それは、僕があの本を読んで想像した、あの頃の『キャンティ』の光景そのものだった。
その途端、会ったことのない誰かの遠い思い出の中にしか存在しなかったはずの『キャンティ物語』は、突如として実体を獲得した。
つまり――僕も彼らみたいになりたいと、図々しくも憧れてしまったのだ。
ところで最近、よく行く店がある。白金高輪と恵比寿と広尾を結んだ三角形の中心、恵比寿三丁目交差点あたりの『kermistokyo』。
通称“ケルミス”は、近所のワインバーの店主が「あそこ旨いですよ」と教えてくれて、今年の初夏から定期的に伺うようになったお店だ。
シェフのノブさんとサービスのゆうこさん夫婦は、どんな新顔だろうが常連だろうが、誰だって優しく受け入れ、丁寧に接してくれる。
エリア的に「どこのお店」と気軽に説明しづらい場所にある“ケルミス”は、その上お店のジャンルまで説明しづらい。
メニューには素材が列挙されているだけで、コース仕立てで次々と出してくれるそれぞれの料理の仰々しい正式名称をノブさんが教えてくれたことは一度もなかった気がするが、シグネチャーメニューである「ビーツのステーキ」をはじめとして、何を食っても旨いからそんな些細なことは気にならない。
お酒のペアリングも、ワインから日本酒まで自由に用いながらも毎回ピタリと当ててくる。つまり、レストランとしての地力が大変に高いのだ。
その上、“ケルミス”はとっても自由で楽しいお店だ。
「世界で一番旨い肉料理は焼肉」と信じるシェフは、質のいい赤身肉に焼肉のタレを想起させるような親しみやすい、それでいて凛とした気品のある自家製の甘いソースを合わせたりする。
営業形態もずいぶん変わっていて、全国各地、時には海外からシェフたちが訪れ、月のうち何日かはポップアップ営業をやっているし、普段の営業日もコース提供が終わった21時以降は「バー営業」ということで、〆の焼きそばやナポリタンを頼むことができたりもする。
バー営業の間、ポップアップで来ていたシェフとノブさんが即興でコラボしてメニューにないものを作って食べさせてくれることもある。
同じ席に座っているのに、まるで毎日違ったお店にいるような不思議な気分になる。
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