
僕だけの『キャンティ物語』を探して。麻布競馬場による4号連続書き下ろしエッセイ vol.04
“ケルミス”に集う人々は、「客としての粋な振る舞い」を持っている
そんな自由な空気に引き寄せられてか、“ケルミス”のお客さんは旨いもの好きの自由な人たちが多い。
カウンターに並んだ彼らは、美味しい料理をニコニコと嗜み、気前よくボトルワインを注文する。それを隣近所に振る舞ったりしているうちに、自然と会話が始まることもある。
料理がひと段落すると、カウンターの後ろあたりを野良犬みたいにフラフラと歩く癖のあるノブさんがそこに混ざったり混ざらなかったりするし、ゆうこさんがそれを見て苦笑したり苦笑しなかったりする。
深酔いして騒ぐ人も、初対面の相手に不用意な深入りをする人もいない。
僕も含め、常連客たちはこのあたりに住んでいる人が多いようだが、もし僕たちが昼間の白金商店街や深夜の西麻布交差点ですれ違うことがあったとしても、お互いわけ知り顔で小さく会釈して通り過ぎることだろう。
2023年現在の港区における「客としての粋な振る舞い」みたいなものを、“ケルミス”に集う人々はみんな暗黙のうちに共有しているようだし、それに対して敬意を持っているように見える。
少なくとも僕はそうだ。好きなお店にとって好ましい客でありたいに決まっている。財布が許す限り気前良くいたいし、よく整えられた光景の一部でありたい。
僕たちがお店に対してできることは、せいぜいそれくらいなのだから。
ここ3年ほどの間に、僕が通っていたお店もいくつか姿を消してしまった。「最近の港区は高齢化がひどい」と、僕の知人のとある港区女子は指摘した。
彼女によると、広尾や麻布十番あたりのお店が閉まったかと思うと、お金をだぶだぶに余らせた高級店が空きテナントを抑え、客単価数万円の会員制や紹介制のお店にしてしまう。
そうなると、客層はお金に余裕のあるおじさんに偏っていくという仕組みだそうだ。
確かに、僕の周りの人たちを思い出しても、以前から港区で遊んでいた「港区男子」はそのまま港区で大人というか「港区おじさん」に進化し、インスタに「#会員制」「#紹介制」みたいなギンギンのハッシュタグをつけた彩度ギンギンの写真を相変わらず投稿している一方、最近の若者によく行くお店を聞くと「学芸大学」「幡ヶ谷」「三軒茶屋」みたいな答えが返ってくるし、彼らは遊ぶ場所だけではなく住む場所としてもそのあたりを選ぶことが多いようだ。
僕自身も、いつまで港区に住み、港区で遊ぶだろうか?と自問してしまう日がある。
僕の先輩のとある港区おじさんは、港区での日々を「同じコースを永遠にグルグル回る」と評した。
頑張って働く。お金が増えたら行ける場所や住める場所が増える。そこでお金を使いつつ、新しい人と知り合ったり新しい仕事のチャンスを得たりする。そうしてまた頑張って働く。それでお金が増えたら……と、規模こそ大きくなっているが、港区で僕たちは永遠に同じことをやっているだけなんじゃないか、と彼はある日気付き、とてつもない虚無感に襲われたのだそうだ。
もしかしたらそれこそが人生の本質であり、僕たちはどこまで行ってもそこから逃れられないのかもしれない。
現に、僕は他に行くべきところを思い付かない。それは人生の幸せについて考えることを怠っているせいかもしれないし、それよりもむしろ――
いつまで続くとも分からないそんな虚無を、僕はむしろ積極的に楽しんでいるせいかもしれない。