「東麻布は麻布十番じゃない」と言う女。麻布競馬場による4号連続書き下ろしエッセイ!

「一緒に行こうよ。たまにはいいでしょ、ぎゅうぎゅうに混んでる麻布十番も」


「そういえば、今年は久々に十番祭りをやるらしいですね。2019年を最後に開催が止まっていたから、実に4年ぶりか」と、僕は地域の身近なニュースを感慨とともにしみじみと共有した。

今でこそ東カレの、それも麻布十番特集号に寄稿させてもらったりしているが、僕の麻布十番デビューは、大学の三田キャンパスに通っている頃に学部の友達と行った2012年の十番祭りだった。

地下鉄の4番出口を上がった先で待ち合わせをして、三田のあたりでは見ることのない港区女子を見て「うわ~マジで港区だ!」と内心盛り上がったという、今思うとかなりみっともない過去を僕は心の奥底に隠し持っていたのだ。

「へぇ、十番祭りか」と、彼女は厚手のカットグラスに豪快に注がれた「徳島すだち皿焼酎」をこれまた豪快に飲む隙間にそう呟いた。

僕はやや緊張していた。麻布十番原理主義者の中には、「普段は十番に来ない人がいっぱい来て、街中が混むから嫌」という意見の人もたまにいるのだ。

それを聞くたび、僕のみっともなくも大切な、みっともないからこそ余計に大切な過去が踏みにじられたような気持ちがして、少し苦手だったのだ。

「……いいね、一緒に行こうよ。私の麻布十番デビュー、おのぼりさんっぽくて若干恥ずかしいけど十番祭りだったから懐かしいな。たまにはいいでしょ、ぎゅうぎゅうに混んでる麻布十番も」

それを聞いて、僕はカウンターの隣に座る彼女が、突如としてまるで共犯者みたいに思えてきたのだ。

僕は訳も言わず、ニヤニヤと笑いながら「徳島すだち皿焼酎」がまだ半分ほど入ったグラスを彼女に掲げて見せたら、「え、何?怖いんだけど」と彼女は戸惑いながらも、一応はその不格好な乾杯に応じてくれた。

ネタバレをするが、「徳島すだち皿焼酎」はその名のとおり、大きな大きな白磁の鉢にすだちとともになみなみと注がれて製造される。


鉢の中にはまだ相当の残量がある。

「齋藤さん、お水と、それから皿焼酎お願いします」と僕は一気に空けたグラスをカウンターの向こうに差し出した。彼女も同じようにした。


その後も散々飲んで、僕たちは22時半過ぎにさわやかに解散した。白金高輪への帰りのタクシー。車窓を緩慢に流れる麻布通りの景色。


二の橋交差点を超えたところで、ああ、今ちょうど麻布十番を出たんだな、と僕はふと思って、それが自分でもおかしくて少し笑った。

そんな些細なことにどうしようもなくこだわる彼女も、そして僕も、そしてこの街のあちこちのカウンター席で今も「結局ブルゴーニュに戻ってくるよね」とか言いながら物知り顔でワインを舐める人たちも、みんな麻布十番に至るまでにみっともない過去を隠し持っているものだ。

それでも僕たちには、この街を図々しく愛する権利がある。街について語り、その愛を表明する権利がある。今年の十番祭りで麻布十番デビューをする人もたくさんいるだろう。

先輩たちはそれを、懐かしさを含んだ生暖かい目線で見守るつもりだ。だって、街は誰にだって開かれているのだから。



次回の書き下ろしエッセイの舞台は、「青山」!9/21発売の東京カレンダー本誌に掲載予定です。

■プロフィール
麻布競馬場 1991年生まれ。『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(集英社)が好評発売中。
X(旧:Twitter)ID:@63cities

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