カウンターがある、名レストラン Vol.2

ホンテン ハマサク

本店 浜作

今も変らぬ味を守る、元祖板前割烹

塩見安三氏の前は「かぶりつき」と呼ばれ、人気だった。『京都ぎをん 浜作』は兄弟弟子が開いた

店の歴史すなわち、戦後の文化史なり

フリーの料理人だった頃は国立大学卒者の月給が70円だった時代に、500円もの大金をもらえるほどの腕前。その容貌は歌舞伎の名優、六代目尾上菊五郎に似ていると評判が立つほど。『本店 浜作』はそんな板前界のトップスター、故塩見安三氏によって生み出された。史上初めてのカウンター割烹である。

大正13年(1924年)に大阪で創業し、昭和3年(1928年)に銀座に進出した『本店 浜作』は瞬く間にセレブが押し寄せる人気店となり、全盛を極めることとなる。

2代目女将が嫁いできた頃は店舗は踊りの名手、吾妻徳穂が住んでいた家を改築した一軒家だった

高校2年から店を手伝っていたという3代目、塩見彰英氏が古きよき時代の思い出を語ってくれた。

「政財界の方々や文化人では谷崎潤一郎さんや吉行淳之介さんなど、有名な方が多くお見えでした。外には戦前は珍らしかった外車が並んでいましたね。夏になると、みなさん、麻のスーツにパナマ帽でいらして、ジャケットも脱がない。ダンディな方が多かったようです。

料亭では料理人は奥にいて、お会いする機会もないのですが、カウンターではお話をする接点が生まれます。白洲次郎さんにもかわいがっていただいて、いろんなことを教えていただきました」

当時、高級日本料理といえば、料亭で会席をとるのが当たり前。関東風の料理は濃い目の味付けをするのが一般的だったという。対して、初代が大阪から持ち込んだのはカウンターで提供する「喰い切り料理」だ。

それまで厨房といえば、“お見せできない楽屋裏”。それを思い切って客席からも全て見えるようにしたのだ。日本料理店の歴史における革命だ。清潔な場所で最上の素材を料理するのだから隠さず見てもらおう。そんなコンセプトが大いにウケたという。

左.かれいの煮下ろし¥5,250。初代の創作。素揚げしたかれいを出汁、大根おろし、レモンでさっぱりと

右.沢煮椀¥2,625。熱々の吸地にささがきゴボウや椎茸、三つ葉などの具。秋には松茸、春には筍も

おこぜの薄造り¥6,300。年に1度、かぼすを搾って大量に作るポン酢で食す。紅葉おろしを添えて

料理はお仕着せのコースではなく、品書きから1品ずつ、食べたいものを食べたい分だけ注文する。刺身、吸物、焼物、煮物、蒸し物、揚物。鯛、おこぜ、海老、かれい、あわび。調理法と素材がはっきり分かるシンプルなスタイルと関西風の味付けも新鮮に映った。

しかも、厨房から廊下を通って料理を運ぶ料亭と違って、カウンター越しにでき立てが出てくるから、熱いものは熱く、冷たいものはきちんと冷たい。

打ち水された飛び石を踏み、庭を愛で、厳かに接待を受けるという料亭ならではの環境を取っ払ったら、純粋に“旨いもの”だけが残った。そんな板前割烹の醍醐味を求める人たちが、この店の、そして、今やフレンチやイタリアン、中国料理などさまざまなジャンルに亘るこの国のカウンター料理店の歴史を作ってきたのである。

その日のうちに材料を使い切るから、今でも旧式の氷の冷蔵庫を置く。そんなことも含め、こちらでは創業者の意志を守り続けている。そのマインドは今春、京都での修業から戻った4代目へと受け継がれつつある。

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