東京、桜の下で Vol.1

東京、桜の下で:「あなたのために、海外赴任は断る」29歳女の決断に、彼が見せた反応は…

『大聖:今日むりになったわ。お客さんと飲みにいく』

― またこのパターンか。

『沙織:了解。いってらっしゃい!』

気丈に返事を打ちながらも、ため息をもらした。

付き合いはじめた頃は、こんなふうではなかったと沙織は思う。

急な予定変更で帰りが遅くなったり、今日のように手料理が不要になったりすることは確かにあった。

しかし、前の大聖なら「ごめん」の3文字は欠かさずに送ってくれたし、丁寧に電話でフォローもしてくれていたはずだ。

― 一体、いつから…。

たった1年の間に、大聖からの扱いが雑になっていることを認めざるを得ない。

しかし沙織は、こう解釈するようにしていた。

対応が雑になったのは、大聖が自分に気を許した証拠だ、と。

― 1年も一緒にいたら、家族みたいになるもん。別にそれは、悪いことじゃないよね。

「いただきます」

広い部屋に、沙織だけの声が響いた。



翌日のランチタイム。

沙織は、デスクで昨晩と全く同じ料理を食べていた。

ドタキャンされた翌日は大聖の分の料理を、翌日のランチとして持参するのが恒例なのだ。

「ごめん、多部さん。ちょといい?」

そのとき突然、上司から声をかけられた。

「お昼休みに悪いんだけど…食べ終えたら、声かけてくれませんか?」

「は、はい」

掻き込むようにランチを終えて上司に声をかけると、会議室へと連れていかれる。


「多部さんに、話があるんだけど」

上司は、眼鏡の奥で柔和に微笑む。

「なんでしょう?」

沙織は、背筋を伸ばした。

「多部さんって、入社してからずっと『グローバルな仕事がしたい』って言ってたよね?

ちょうど今ね、会社の方針で、入社10年目くらいの社員数名をシンガポールに赴任させようって話があるんだ」

確かに沙織は「いつかは海外を舞台に働きたい」と、上司に幾度となく伝えてきた。

「多部さんは優秀だし、シンガポールでもっと経験を積んでもらえればと思うんだけど…どうかな」

上司は、穏やかな口調で付け加える。

「でも多部さん、最近は忙しいのかな?事情もあるだろうから断ってくれても構わないけど…検討してみて」

定時退社を厳守するようになった沙織を、上司も不思議に思っていたに違いない。

上司は「1週間くらい考えてみてください」と言って、会議室を去っていく。


― どうしよう…。

デスクに戻った沙織は、思い悩んだ。

念願だった、海外赴任のチャンス。

ありがたいことに、上司が背中を押してくれている。本来なら喜んで受けるべきだろう。

迷っているのは、大聖がいるからだ。

― 私が海外に行ったら…大聖はさみしがるよね?

そしてなにより、この年齢で海外赴任などしたら、婚期を逃しかねない。それが本音だった。

今の大聖からの扱いに、不満がないとは言い難い。

それでも、仕事ができて、身に余るような贅沢をさせてくれる彼は、どこまでも魅力的だった。

― 私、大聖と結婚したいと思ってる…。

そう強く思うけれど、この1年、2人の間で結婚というワードが話に出たことはない。

だからこそ、沙織は決意する。

東京に残ろう。そして大聖に、「大聖との未来のために東京に残ると決めた」と話そう。

― そしたら大聖だって、真剣に将来の話をしてくれるよね?

この記事へのコメント

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No Name
すごくいいタイミングだったと思う!シンガポールでの生活も読んでみたかったけどこちらは一話完結なのね。
2023/03/10 05:3185返信1件
No Name
「この卵焼きともお別れかっ」て、その言葉が大聖の気持ちをよく現してる。基本外食中心だから(飲食系の経営者か?) 週の何日かは手作りな食事を食べたくて、沙織は呼べばすぐ来るコンビニエントな女性でしかなかった。
2023/03/10 05:4877返信4件
No Name
沙織に幸あれ。次週予告の、大切にすれば良かったと桜の下で嘆く男が大聖だったら、鼻で笑ってしまうかも。
2023/03/10 05:3750
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