春になると、日本を彩る桜の花。
大都会・東京も例外ではない。
だが寒い冬を乗り越えて咲き誇ると、桜はあっという間に散ってしまう。
そんな美しく儚い桜のもとで、様々な恋が実ったり、また散ったりもする。
あなたには、桜の季節になると思い出す出会いや別れがありますか?
これは桜の下で繰り広げられる、小さな恋の物語。
多部沙織(29)「春は、まだまだこれからだから」
22時すぎの、アークヒルズの下。
沙織は、今にも咲きそうな桜の蕾を見つめ、涙をぬぐった。
◆
―4日前―
17時半。
いつものように定時できっちり仕事を終えた沙織は、パタンとPCを閉じる。
そしてデスクチェアの背にかけていた春物の薄手のコートを手にとり、「お先に失礼します」と六本木のオフィスをあとにした。
『沙織:今仕事終わったよ。今日は何食べたい?』
新卒で入った大手メーカーに勤務して、7年目。
ずっと仕事を第一優先で生きてきた沙織が、定時帰宅を徹底して守るように変わったのは、今からちょうど1年前のことだ。
きっかけは、6歳上の不動産経営者・大聖と付き合い始めたこと。
大聖とは、食事会で出会った。そして「一目惚れした」と言われてすぐに交際に発展し、もうすぐで1年になる。
付き合ってすぐの頃から沙織は、週に何度も大聖の部屋に通うようになった。
大聖はいつも多忙で、深夜の打ち合わせや会食が多い。しかし週に数日は自宅で夕食をとるので、その日に沙織は毎度呼ばれるのだ。
最高の料理を用意して待っていたい──沙織はその一心で、大聖と会う日は定時帰りを徹底。
仕事が忙しい時期は、出社を早めてまで、退社時間を守ることにしていた。
『大聖:なんか、さっぱりしたものがいいなー』
大聖から来た夕食のリクエストを胸に、いつものように成城石井で買い出しをする。
そしてアークヒルズのタワーマンションに1人であがり、大聖の帰宅を待ちながら料理を始めた。
今日のメニューは、鶏肉とネギの味噌炒め、さわらの塩焼き、ナスの煮浸し、お吸い物。
広々としたキッチンで、沙織は手際よく調理を進める。
「そうだ。だし巻き卵もつけよう」
大聖の好物である、だし巻き卵を焼いていたとき…。
LINEの通知が鳴った。
この記事へのコメント