◆
あれから、5年後──。
私はいまも同じ会社に勤めている。
しかし、予想外なことに風磨が会社を辞めた。彼にひそかに思いを寄せていたから、転職すると聞いた時は、かなり寂しかった。
しかも、頼りにしていた課長も異動になり、周りの環境がガラッと変わってしまったのだ。
ただ、私のプライベートは不思議なほどに順調で、友達の紹介で知り合った商社マンの友也と付き合って1年になる。
「結菜の使ってる香水、すごくいい匂いだよね。」
「えへへ。これお気に入りなんだ」
あの時、課長から教えてもらった香水は、ジョー マローン ロンドンの「ウッド セージ & シー ソルト」。
彼氏の友也も事あるごとに褒めてくれるので、こればかりを愛用している。それに、これをまとっていると仕事もうまくいく気がするし、緊張感を和らげてくれる。
課長の香りは、いつの間にか私の香りになっていた。
そんなある日。会社の同期会が開催され、久しぶりに同期全員が集まった。
「おぉ!風磨。久しぶり!!」
転職した風磨を誰が呼んだのだろう。遅れて店に入ってきた彼を、私はなんとなく直視できなかった。
でも、風磨は私を見つけると、私の目の前に座り、誰よりも先に話しかけた。
「よっ!結菜、元気か?」
「う、うん」
― あれ?この匂い…。
私は、風磨がまとう香りが自分のものと同じであることに、すぐに気がついた。他の同期もそれに気づいたようで、私たちを問い詰める。
「ねぇねぇ、結菜と風磨くん同じ香水使ってる?」
「もしかしてふたり付き合ってるとか?」
風磨は、すかさず否定した。
「まさか。今日、結菜と会ったの5年ぶりだよ。それに、俺、既婚者なんですけど」
「え!!!」
その報告に、誰よりも驚いたのは私だった。
風磨の左手薬指には、太めのプラチナリングが光っている。
― 結婚…したのね。
たしかに私たちは、結婚適齢期。いつ結婚してもおかしくない年齢だし、風磨には長い付き合いの彼女がいた。
それに、もう同じ会社にいるわけじゃないし、報告義務もない。
だけど、心の中にはドロッとした感情が渦巻いていた。私は、その感情をどうにかコントロールしようとする。
それなのに、風磨はさらなる衝撃の事実を告げた。
「マヤが結菜によろしくって。もうすぐ産休に入るんだけど、もう部署違うもんな」
― マヤ…?
「もしかして…マヤって、栗田マヤ課長?」
風磨と同じ部署にいた頃、彼も課長のことをよく話していたし、憧れているとは言っていた。でも、それがまさか恋に発展するなんて…想像もしなかった。
風磨は、長く付き合っていた彼女とは別れ、課長と交際をスタート。ほどなくして結婚、子どももその翌年にできたそうだ。
課長はもともと、プライベートについては話したがらない人だった。それにしても、全く耳に入ってこなかったのはなぜなのだろうか…。
「やっぱり驚くよな。俺たちの上司だった人と結婚するなんて」
「うん…信じられない」
風磨と課長が結婚したことに動揺した私は、そのあと誰とどんな会話をしたのか、ほとんど覚えていない。食べ物もろくに喉を通らなかった。
― この気持ち、なんなんだろう。
ふたりのことは好きだし、私にも彼氏がいる。それなのに、心から祝ってあげられないことが申し訳なかった。
「おい!大丈夫か?」
みんなと解散したあと、駅にも向かわず、タクシーにも乗らずフラフラと歩き出した私は、ウッド セージ & シー ソルトの強い香りを後方から感じ、振り返った。
「それ、やめてよね」
風磨はキョトンとしている。
「その香水だよ。それは、私が先に課長から教えてもらった香りなの」
涙ぐみながら訴える私に、風磨は笑いながら私の肩にポンと手を置いた。
「俺と香水がカブるのがそんなに嫌だったか。悪い、悪い」
風磨が笑いながら言うので、私は思いっきり彼の背中を叩く。そんな何気ないやりとりが、入社したての頃を思い出させた。
私は一度大きく深呼吸してから、風磨の横顔を見つめて言う。
「おめでとう」
「おう、ありがとな」
風磨に抱くこの思いは、消すことなく、胸にしまうことにした。
いつか必ず、いい思い出に変わるだろうから。
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この記事へのコメント
でも結菜に彼氏がいたのが唯一の救いかなぁ。
商社マンの彼に選んでもらたらいいね♡
これは、以前あったワインの連載とか最近始まった高級時計の連載にも似ていて、次どんな香水が紹介されるのか楽しみ〜!