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「おはようございます」
風磨との食事で、日頃の鬱憤を晴らした翌日。私は、恐る恐るオフィスに入った。
昨日私は大きなミスを犯し、課長とお客様に謝りに行くことになっている。だから、朝から気が重く、メイクもヘアも適当になってしまった。
「鈴原さんおはよう。10時には出るから準備しておいてね」
私に声をかけた女性こそ、私と風磨の部署の上司であり課長の、栗田マヤだ。彼女は今年の春に、32歳の若さで課長に任命された。
「はい!」
私は返事をして、完璧な説明ができるようにと、何度も頭の中でシミュレーションをする。
― 罵声を浴びせられたらどうしよう。怖い…。
普段通りに振る舞おうとしたが、どうしてもそんな恐怖心が拭い切れずにいた。
あっという間に約束の10時を過ぎ、私は課長とオフィスを出た。
髪はモサモサでスーツも野暮ったい私と違い、課長はツヤツヤな髪を低い位置でまとめ、スーツも体にピッタリと合っている。
さらには、爽やかないい香りまでもまとっている。
「鈴原さん、タクシー乗っちゃおうか」
課長はそう言うと素早くタクシーを止め、乗り込んだ。
赤坂にある先方のオフィスに近づくにつれ、私は緊張から手の震えが止まらなくなっていた。いくら課長が付いているとはいえ、ミスを犯したのは自分だ。
そんな私の様子に気づいてか、課長は私の震える手にそっと自分の両手を重ね、優しく包みこむ。
「鈴原さん、今から会うお客様のこと、“大好きな恋人”だと思ってみて」
「恋人ですか?」
「うん。好きな人に謝るとき、鈴原さんならどうする?営業しに行く時も同じ。恋人に接するみたいに好意を持って対応したら、それは相手にも必ず伝わるから」
私にはもう2年ほど彼氏がいない。だから“恋人”と言われても、なかなかイメージがつかなかった。
― でも、好きな人なら…。
私は風磨のことを思い浮かべてみる。すると、緊張していた心がどんどんほぐれていった。
「はい。手貸して」
タクシーを降りてから、課長は私の手首に、ほのかに香る程度の香水をつけた。
「いい香りに包まれていると、リラックスできない?それにきっと、気合にもなると思うの」
課長はそう言って、爽やかな微笑みを浮かべた。
― これ、ほんとにいい香り…。
甘すぎず、爽やかで優しい。まるで、外国のビーチにいるかのような穏やかさがあるのに、都会にマッチする不思議な香り。
私は「よし!」と心の中で気合を入れなおし、先方が待つオフィスビルへと歩みを進めた。
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課長の助言のおかげで、お客様は私の真摯な謝罪を受け止めてくれた。
「課長、今回のことは 本当に申し訳ありませんでした。それと、ありがとうございました」
オフィスに戻る途中で、私は改めて頭を下げた。
課長は、優しく微笑む。
「あと、すみません…こんなことお伺いしてもいいのか、わからないんですが」
そう切り出し、私は課長が使っている香水を教えてもらったのだった。
この記事へのコメント
でも結菜に彼氏がいたのが唯一の救いかなぁ。
商社マンの彼に選んでもらたらいいね♡
これは、以前あったワインの連載とか最近始まった高級時計の連載にも似ていて、次どんな香水が紹介されるのか楽しみ〜!