陽菜が見つけたハガキは、ある温泉宿からだった。
裏にはご丁寧に「先日はご宿泊いただきありがとうございました」と記されている。
新商品の仕入れ担当を務めているため、もともと出張や会食という名の外出が多かった康明。しかし、コロナ禍となってもその回数が減ることはなく、陽菜は徐々に夫の浮気を疑うようになったのだ。
そして、今回のこのハガキ。これで明らかに“黒”に近くなった。
「ねぇ、このハガキは何?」
陽菜は極力さりげなく尋ねるようにした。しかし、康明の回答はこうだった。
「…うーん、出張で行ったかな?何だろうね」
陽菜は平静を装っていたが、康明のこの言葉を聞いた陽菜は、心の中で何かがプツンと切れるのを感じた。
― こんな場所、出張で泊まるはずないじゃない…!まともな言い訳もできないの?
そして、瞬時に康明の今までのそっけない素振りの数々が呼び起こされ、それらがまるで澱が重なるように陽菜の心を埋め尽くしていく。
― もう、黙るのは無理…。
悲しさと怒りが頂点に達した陽菜は、康明にこう言った。
「…誰かと泊まったんでしょう?私は、康明が忙しいと思っていたから、家事と育児も全部引き受けてきたのに!」
しかし、康明からの反応は冷たいものだった。
「あぁ、確かにお前は医者だし、稼ぐし、何でもできるよ。俺なんていなくてもいいくらいにね。どうせ俺のこと、ずっと下の人間だと思って見下してるだろ」
逆ギレとも開き直りとも取れる康明の発言。
「何で、そんなこと言うの…?」
悲しさのあまり、陽菜の目には涙が溢れていた。そして、そんな陽菜を目の前にしても、康明は何も発しない。
そんなふたりのあいだには、重い沈黙が流れていた。
◆
「はーい、ご飯できたよ!みんな食べよう。さぁ、パパも座って!」
陽菜と康明の生活は、いつの間にか日常に戻っていた。正確には、陽菜が「無理やり日常に戻した」のが適切かもしれない。
結局、康明とのケンカはうやむやになったまま。「あのこと」には触れないのが、今では夫婦の暗黙の了解になっている。
しかし、ひとりになった時、ふと陽菜は思う。
― こういうとき、どうしたらいいのかしら。「悲しい」とか「寂しい」とか「もっと私のことを見て」とか言って、泣けばいいのかなぁ。
「女性もこれからは自立しなきゃだめ、手に職をつけなさい」
こう両親に言われて育ってきた陽菜は、今まで数多くの努力をして年収2,500万円を得るまでになっていた。
しかし、陽菜の悩みに対して、年収の多寡など無力だ。むしろ今の悩みは、その稼ぎが引き起こしたものとも言える。
稼げることが女にとって幸せなのか、今はこれで本当に幸せなのか、陽菜にはもうわからなかった。
しかし、一方でこうも思う。
― 子どもを産んだ以上、そして自分の医院を持った以上、私は前に進むしかない。歩みを止めるわけにはいかない…。
年収8ケタを稼ぐ女の強さ。
この強さこそ、陽菜の最大の強みでもあり、弱みなのかもしれない。それでも、どうにかして前に進もうと思う陽菜だった。
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この記事へのコメント
子供のためなのかな。
うちも私が夫より稼ぐけど、夫がそのことに卑屈になったらめんどくさいし、分かってて結婚したよね?と思う。
嫌なら転職してでも年収追いつく努力すれば?
浮気してる場合じゃないでしょ。
離婚した方が良いのでは…😥