
~アフリカの村に飛び込んで分かった、日本に今足りない「やってみよう」の精神~
偶然たどり着いた村が、人生を大きく変える
原:なぜコロンビア大学かというと、2年間のプログラムのうち半年間は国外でインターンをすることが卒業の必須条件になっていたからなんです。
金丸:それがアフリカとの運命の出合いにつながるのですか?
原:はい。2012年の6月から12月まで、ガーナのボナイリという村で過ごしました。首都のアクラから飛行機で1時間飛んで、さらに車で45分くらい。人口2,000人の小さな村です。
金丸:その村は、原さん自身が選ばれたのですか?
原:「好きなところに行っていい」と言われたんですけど、大学が用意してくれたインターン先は研究所ばかりで、全然ピンと来なくて。そこで模擬国連時代にお世話になった国連職員の方に相談して、ガーナのNGОを紹介していただきました。「北部にあるボナイリ村が、現地の活動に携わるスタッフを必要としている」と。
金丸:きっと、原さんのそれまでの人生で、最も現場に近い経験ですよね。
原:そうですね。実際村に入って感じたのは、「私には何もできない」ということでした。英語は通じないし、顔を洗いたくてもそのための水を井戸や池から汲み、重いバケツを頭の上に載せて運んでこないといけない。とにかくお世話になりっぱなしで。大学時代や外務省勤務を通じて、いろいろなものを見てきたはずなのに、自分ひとりでは何もできなくて、「私が行けば村の人たちのために何かできるはず」と、上から目線だったことにショックを受けました。
金丸:アフリカでも首都にある研究所で過ごしていたら、そんなショックを受けることすらなかったでしょうね。
原:それで、自分がここに来た意味はなんだろうということを考え始めたとき、せめてやってもらっていることへのお支払いはしようと申し出たら、「あなたは家族みたいなものでしょう。家族にそんなことを求めたりしないから」と言われました。
金丸:ジーンときますね。
原:そうなんですよ。すごく感動しちゃって。このまま「ありがとう」と言って帰るわけにはいかないと思いましたね。それに、村のリーダーがとても素晴らしい方で。中学までしか出ていないんですが、英語や農法を独学で勉強して、そこで得た知識を自分だけじゃなく、村のみんなに伝えていました。彼とはのちに「SKYAH」の先駆けとなるNGO「MY DREAM.org」を一緒に立ち上げることになりますが。
金丸:村で半年間過ごす中で、どんな活動をされたのですか?
原:幼稚園の園舎を建築しました。村の人たちと一緒に、村にとって一番必要なものは何かを議論したところ、クリニックと幼稚園が必要だという結論が出ました。で、クリニックは専門家が必要だけど、幼稚園ならできるんじゃないかと。すでに子どもたちを預る仕組みはあったのですが、場所が大きな木の下だったので。
金丸:アフリカだと雨季があるから、木の下よりも園舎があった方がいいですよね。
原:調べてみると、30万円くらい集めれば建てられそうだということが分かり、当時はまだクラウドファンディングが一般的ではなかったので、自分でウェブサイトを立ち上げて、親戚や友人に呼びかけて資金を集めました。これが「MY DREAM.org」の原点になりました。