SPECIAL TALK Vol.92

~アフリカの村に飛び込んで分かった、日本に今足りない「やってみよう」の精神~

自分で考えて実践してみる。「守りたい気質」の長女

金丸:先程、愛媛県の今治がご実家だと。「今治タオル」が知られていますが、もともとは造船が盛んなところですよね。

原:そうですね。アフリカでも海運関係の方には知られた街で、南アフリカで「えっ、あのイマバリの出身なの!?」と言われたときは感動しました。その方は「イマバリは3年先までドックの予約がいっぱいで、造船を頼みたいけど頼めない」と嘆いていました。

金丸:そんな製造業が盛んな今治で、原さんのご両親は何をされているのでしょう?

原:小さな商社のような事業をしています。曽祖父が創業し、もともとは印刷と包装資材を扱っていたのですが、父が継いでからは多角化を推し進めて、今ではいろいろと事業をしています。その父も6年前に亡くなりました。

金丸:そうなんですね。原さんは子どもの頃は、どんな性格だったのですか?

原:すごく活発で、ガキ大将的な感じでしたね(笑)。

金丸:なんとなく、男の子をいじめていたような感じが(笑)。

原:いじめてはいないけど、対等にやりあっていましたよ。取っ組み合いの喧嘩をしては、傷を作って帰ってきて。でも父に泣きつこうものなら、「やり返してこい」と言われてましたね。

金丸:ということは、スポーツも得意だったのでは?

原:小学校からずっとバスケットボール一筋でした。実は私、6年生のときに、身長が165センチあったんです。

金丸:えっ、大きいですね。ちなみに今は?

原:それが、小6以来一切伸びず、今も変わっていません(笑)。

金丸:そんなことってあるんですね(笑)。

原:その頃は膝がバキバキ鳴って、痛くて痛くて。当時は愛媛県で期待のバスケ選手だったんですけど、まさかそこから身長が伸びなくなるとは。

金丸:そのくらいの年だと、男子でも140〜150センチくらいだから、対等にやりあえるわけだ(笑)。

原:私は3姉妹の長女なんですけど、私が大きいぶん、親からすると妹が頼りなく見えたようで、妹が幼稚園に入園するときに「守ってあげてね」と言われたのを覚えています。私はそれを忠実に守って、自分の教室じゃなくて、妹の教室にへばりついて面倒を見ていました。

金丸:じゃあ、「守りたい気質」が強いお姉ちゃんだったんですね。ちなみに、勉強はどうでしたか?

原:授業を聞いてすぐできるというタイプではまったくなくて、完全に努力型ですね。努力できるようになったのも、小6のときの担任の先生のおかげです。先生の宿題は「ノートの見開きに、自分で何をやるかを決めて、答えを書いてきてください」というもので。自由スタイルなんですよ。その宿題をやるうちに自分で学ぶ癖がついて、興味のあることを自分で調べて勉強する楽しさを知りました。

金丸:日本の教育は、自分で考える力を育てるのが苦手と言われていますが、いい先生に巡り会えてよかったですね。

原:そういう意味では、中高のときも自分で考えて行動する力が鍛えられたと思います。部活の顧問がバスケの経験者ではなかったので、自分たちで練習内容を考えたし、どうやって試合で勝つかもみんなで議論して決めていました。

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