2022.06.05
港区夫妻のトラブル事例 Vol.1別居後の弘道は、頻繁に悠香のSNSを覗くようになった。
すると、手芸関連の店を開くようなニュアンスの投稿があることに気づいた。財産分与の請求に関する話題を持ち出してきたのは、そのあたりの時期である。
― 悠香はきっと開店資金を集めているんだろう。
弘道は、ひとつため息をつき、「これならどうだ?」と新たな提案を持ちかけた。
「8,000万円は無理だが、5,000万円ならキャッシュで払える。それで手を打ってもらえないか?」
弘道の言葉に、悠香がパッと表情を明るくした。予想した通りの反応だ。
実は今回の件を、会社経営をしている友人に相談していた。そこで、弁護士を立てずに話し合いをしていくほうがいいと勧められたのだ。
なぜなら、弁護士を立てられると、会社の正確な株式価値が把握されてしまう。実際の価値は、悠香の見越した額よりも高額であった。それが判明すれば、さらに高い金額を請求されかねない。
とはいえ、8,000万円でもかなりの額だ。少しでも支払いを抑えたかった弘道は一芝居うつことにしたのである。
まずは請求を拒み、別居期間の話を持ち出す。悠香が旗色の悪さを感じたところで“キャッシュ”という言葉を出して話をまとめたのだ。
もちろん、十分な額を支払いたいという思いもあった。起業するのであれば応援したい気持ちだってある。
だが、自分から離れようとしている人間に対して、それほどの恩情をかけられるほどお人好しにはなれなかった。
「…うん、分かった。それでいいよ」
悠香は平静を装っているが、高揚感は隠し切れない様子だった。
― キャッシュであれば、今後分割支払いなどは発生しない。これで夫婦の繋がりは完全に断たれる。繋がりがあるとすれば、レノンだけか…。
すると、悠香のバッグからスマホの着信音が聞こえた。悠香が一瞬弘道の顔を見る。
「振り込みについてはあとで連絡するから、出なよ」
悠香が電話を取るため立ち上がると、レノンが膝から滑り落ちた。
「あ、もしもし…?」
さっきまでの会話より、随分と悠香の声のトーンが上がった。男か…とも思ったが、畏まった口調から仕事関係であると察した。安堵している自分がどこかにいた。
悠香はそのまま部屋をあとにした。
いつもなら、レノンは妻…元妻を玄関まで見送り、しばらくドアを見つめているが、その日は追いかけもせず、じっと弘道を見つめるのだった。
◆
弘道の対応は果たして、正解だったのだろうか。実は払い過ぎて損をしたのか…?もう少しうまくやる方法はあったのだろうか…。
弘道は気になって、銀座に事務所を構える青木聡史弁護士のもとへ向かった。
~青木弁護士からのコメント~
「別居前の企業価値から考えると、5,000万円は妥当な線です」
財産分与の際の割合は、基本は半々となります。
今回のケースのように会社の株価評価における分配においては、会社の資産価値向上への夫の“寄与度”、妻の“寄与度”がどれほどだったかが重要となります。
もし、不倫などで相手側に責があっても、財産分与において分与割合が変わることはほとんどありません。ただ、このケースのように別居期間があった場合、別居前までの財産が財産分与の対象となります。
今回のケースでは、夫側が8,000万円の請求額を5,000万円のキャッシュで支払うということで帰結しましたが、手元にキャッシュで払えるだけのお金があったので、比較的穏便に済ませることができたと言えるでしょう。
別居前の企業価値から考えると、財産分与した“5,000万”は妥当な線だと思います。キャッシュ一括払いで相手も納得し、財産分与の合意ができれば、早期に離婚をすることができるため得策でしょう。
キャッシュをそこまで持っていないときは・・・?
ベンチャー企業の経営者の場合、収益は多くても、キャッシュをそこまで持っていないというケースもあります。
その場合は最初に半額を支払い、残りを分割にしたり、購入したマンションを譲ったりといった方法を取ることもあります。
財産分与は、離婚時からも2年以内は請求可能です。ですから、すぐに離婚して夫婦の縁が切れたとしても、全てが終わったわけではありません。そのあと改めて請求されることもあります。
離婚時に財産分与に関し合意をしていれば、離婚後に後から請求されたり、請求する必要もないので、しっかりと話し合って協議書を作成しておくと良いでしょう。
監修:青木聡史弁護士
【プロフィール】
弁護士・税理士・社会保険労務士。弁護士法人MIA法律事務所(銀座、高崎、名古屋)代表社員。
京都大学法学部卒。企業や医療機関の顧問業務、社外役員業務の他、主に経営者や医師らの離婚事件、相続事件を多数取り扱っている。
【著書】
「弁護士のための医療法務入門」(第一法規)
「トラブル防止のための産業医実務」(公益財団法人産業医学振興財団)他、多数。
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