今はもう、なんでもないから Vol.3

シンガポールに単身赴任中の夫には、内緒で…。娘の幼稚園受験に夢中な女が、隠していたコト

「ええっ、そんな…」

提案された解決法があまりにも極端すぎて、私は思わず情けない声をあげる。

優しい励ましと共感。それから健作と雛乃ちゃんに、関係を見直してもらう方法。…そういうのを教えてほしかったのに。

和香は「そんなことわかってるよ」とでも言いたげな顔をしながら、言葉を続けた。

「確かにさ、元カレや元カノとは距離を置くのが普通のことかもしれないよ。でもさ、これって“私立エスカレーター校の内部生あるある”なんだよねえ」

「ええ…?こんなこと、よくあるの?」

そう戸惑う私を前に、和香は小さくため息をつく。

「いわゆる、おぼっちゃまとかお嬢様ってさ。恋人でも友達でも、同じような価値観と金銭感覚で、同じような家庭環境の相手とのお付き合いが望まれるわけ。

でも、そんな相手ってたくさんはいないよ。つまりさ、同じ世界の人脈を求めて私立へ行くのに、過去の恋愛なんかを気にしてたら、誰とも人間関係が作れなくなっちゃう」

そう言いながら和香は、積み上げられた書類の中から1枚の集合写真を取り出すと、私に向かって差し出した。

「これ。由香のお受験教室で、始業式のときに撮った集合写真」

由香ちゃんとは、和香の一人娘。たしか今は幼稚園の年中さんだ。和香の出身校である、カトリックの名門女子私立への受験を来年に控えている。

おでこを出した賢そうな子どもたちの後ろに、ズラリと並ぶ父兄たち。

和香は、そのうちの1人のお父さんと、別の子のお母さんを指さしながら言った。

「この2人、元恋人だよ」


「…えっ?」

予期せぬ言葉に、私は思わず息を呑む。

でも、和香の指は止まらなかった。父兄を次々と指さしては、説明を続ける。

「こっちのパパは、高校時代のクラスメイトの元カレ。このママは私の先輩なんだけど、昔こっちのママと同じ人と付き合ってた」

「えっ、えっ…?」

「それから…」

そこまで言うと和香は、そっと集合写真から目をそらす。そして、奥の子ども部屋で眠る由香ちゃんに聞こえないよう、小さな声で私にささやいた。

「由香の幼稚園の、1個下のパパ。…私の元カレ」

「ええっ!」

思わず大声を出してしまった私に向かって、和香は慌てて「シー!」と人差し指を立てる。

そして「言うべきことはすべて言った」というように目をつぶると、低い声で告げたのだった。

「こんな感じでね。一部の私立って、めちゃくちゃ狭い世界なの。

たとえ元恋人でも、これから先も似たような環境で生きていくんだもん。今はもう、なんでもないからって割り切っていかないと、みんな成り立たないわけ」

「でも…」

私は興奮でバクバクしている胸を押さえながら、和香に尋ねる。…彼女の話を聞いていて、一番気になっていたことを。

「ねえ。由香ちゃんの幼稚園に、和香の元カレがいるって…。ご主人は知ってるの?」

ご主人が、和香の元カレのことをどんな気持ちで受け入れているのか。それがわかれば、今の私にとってのヒントや覚悟になるかもしれない。

そう思って聞いた質問だったけれど…。彼女から返ってきたのは、予想もしていなかった言葉だった。

ティーカップを口元まで運んでいた和香は、吹き出すように笑って、こう言ったのだ。

「やだ、まさか。夫がこんなこと知るわけないよ。超やきもち焼きだもん!まあ、いわゆる御三家幼稚園だからさ。父兄が知り合いばっかりなのは、わかってるみたいだけど」

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