隣にいるべきなのは“私に相応しい男”
<雄介:やっぱり、離婚は考え直してもらえないかな?>
スマホに浮かび上がる、夫からの未練がましいメッセージ。内容は先週末に佳奈子から切り出した離婚についてだ。
<佳奈子:弁護士を通してください>
佳奈子は冷めた感情のまま機械的に返信を打つ。そして、心の中で悪態をついた。
― たった900万しか稼がない男のくせに、図々しい…。
雄介と結婚するときにわずかだった給与の差は、年月を重ねるほどにみるみると大きくなっていった。
夫として、娘の父親として、人として、雄介にはまったく非がないことは分かっている。
しかし、自分はメディアから取材を受けるようになるまで上り詰めた女。「給与が自分よりも格段に低い夫」という事実は、雄介に男性的魅力な魅力を感じなくなるのに十分すぎる理由だったのだ。
こんな物足りない男じゃなくて、私にはもっと他に相応しい相手がいるはず。
そう確信した今、慰謝料も養育費もいらないからとにかく早く別れたい。
取り付く島もない佳奈子の態度に雄介がついに離婚を承諾したのは、それから半年後のことだった。
◆
「じゃあ、お母さん。今夜も凛の面倒よろしくね。立場上、仕事の会食とか色々あって。私1人だし大変なの」
晴れて独身となった佳奈子は、軽やかな足取りで玄関に行き、ジミーチュウのパンプスを履く。
何かもの言いたげな実母の視線を背中に感じたが、振り切るようにしてドアをバタンと閉め、オフィスへと向かった。
平日の夕方から娘の面倒を見てくれていた雄介はもういない。そのかわりに実母が面倒を見るのは、佳奈子にとっては当然のことだった。
― だって、私はもっといい男と再婚するために雄介と離婚したんだもん。
もちろん、本当に仕事や会食で忙しい夜を過ごすこともあった。だが実のところ、ここ最近佳奈子の帰りが夜遅くなる理由は、再婚に向けた出会いの場に積極的に参加するためでもあったのだ。
しかし、それからの日々は、佳奈子にとって大きな誤算ともいえるものとなった。
― 雄介よりもハイスペックな相手なんて、すぐに見つかるわ。
そう思っていたのに、再婚相手探しは全くといっていいほど進まなかったのだ。
「へぇ〜。佳奈子さん、外資証券のディレクターなんだ!年収もすごいでしょ?自立していてカッコいいねぇ…」
― コイツ、発言からして頭悪そう…。
「佳奈子ちゃん。日曜日にクルージングするんだけど、一緒にどう?」
― だから、子どもいるから無理だって…。話聞いてなかったのかな。
どんな男たちも、佳奈子の求めるレベルには届かない。自分を理解してくれて、一緒にいて楽しいと思える男性は、たったの1人もいなかった。
◆
― 思うような男っていないものね…。ほんと、世の中のレベルの低さったら。
激務と婚活の日々が始まり、一年半ほどの月日が経った頃。不本意なデートから帰宅した佳奈子に、母親が言った。
「佳奈子、本当に毎日仕事なの?少しは早く帰れない?」
思わずイラッとした佳奈子はどうにか憤りを飲み込むと、感情を抑えた声で答えた。
「お母さんに迷惑をかけているのはわかってる。でも、私だって忙しいのよ」
しかし、母親から返ってきたのは辛らつな反論だった。
「もちろん、忙しいあなたのことも応援してるわ。でもね、私はなにより凜ちゃんのことが心配。離婚してパパがいなくなって、その上ママは忙しくて全然帰ってこない。寂しいと思うわ。少しは時間作ってあげたら」
母親はそう言うと、諦めたようにため息をついた。
「…まぁ、ちょっと考えてみなさい。それからこれ、届いてたわよ」
そう言い残して帰っていった母親の背中を見ながら、佳奈子もため息をつく。確かに正論。でも、全く心に響かない。
― もっと高みを目指して、何が悪いのよ。外資系企業の第一線で働く女には、向上心が必要なの。お母さんには分からなくても、凛は分かってくれるに決まってるじゃない…。
うんざりした気持ちで母親の言葉を頭の中でゴミ箱に入れると、ウォーターサーバーから冷たい水を注ぎ、一気に飲み干した。
「ふぅ…」
一息ついた佳奈子の目にやっと、母親が置いていったものが目に入る。
オフホワイトのシンプルな封筒。
差出人欄には、去年別れた夫「金井 雄介」の名が記載されていた。
「はぁ…、しつこい男。今さらなんなのよ」
水滴のついたコップをテーブルに置くと、乱暴に手紙の封を開ける。
そこに書かれていた内容は、佳奈子にとって信じがたいものだった。
この記事へのコメント
向上心と独りよがりを履き違えたらだめですね。
「いいことはおかげさま、わるいことは身から出たさび」、自分も気をつけよう。