フリーランスになるとすぐに、これまで付き合いがあった出版社や編集者仲間からの依頼で、半年先まで休みが取れないほどスケジュールが埋まった。
嬉しい悲鳴とはこのことだ。
「千佳、すごいじゃん!こんなにたくさん仕事が取れるなんて、今までがんばってきた証だね」
「今まではファッションについて書くのがメインだったけど、最近はいろんなジャンルの仕事がまわってきてるの。せっかく自分の言葉で書きたいことを綴れるようになったんだし、妥協しないでがんばるわ」
…ところがしばらくすると、この気合が激しく空回りし始めたのだ。
「大島さん、ちょっとここ直してもらえないかな?」
「どうしてですか?ここを直したら、いちばん伝えたい部分が濁されてしまうと思います」
「うーん、そうなんだけどね。もう少し柔らかい表現にしてもらいたいんだよね」
「いや、それはできないです」
自分の名前で記事が出る以上、1ミリたりとも妥協したくない。
それにこれまでの実績から、原稿料もフリーランス1年目にしては高額に設定していた。それでも仕事は舞い込んできたのだ。
― 私が書く原稿なんだから、これくらい当たり前でしょう?
自分の実力を過信し、クライアントに威圧的な態度を取るようになるまで、そう時間はかからなかった。
業界内は、思っている以上に噂が広まるのが早い。
「大島さんてさ、いい仕事してくれるんだけど融通が利かないし、頑固なんだよね」
「あぁ…。私もこのあいだ仕事をお願いしたんですけど、ちょっとやりにくかったですね。原稿料高いし」
そんな陰口を叩かれていることを、ある出版社の化粧室で耳にしてしまったときは、目の前が真っ暗になったような気がした。
そうして案の定、フリーランス2年目になると仕事が大幅に減ったのだ。
依頼数は前年の半分以下。それが2年目の実績で、3年目はゼロ。自ら営業するものの、もらえる仕事は単発ものばかり。
いよいよ貯金を切り崩して生活するようになると、この先やっていけるのかと落ち込んだり、思い描いていたフリーランスの世界との違いにイライラしたりするようになった。
そしていつからか、彼のアドバイスも素直に受け入れることができなくなっていたのだ。
「もう、この担当者全然わかってないよ!こっちがこんなに譲ってるのに、まだ条件出してくるってどういうこと?」
「…今回くらいは折れてみたら?せっかく長期的な仕事なんだし」
「絶対に折れない!今折れたら自分の価値が下がる!」
「価値って…。なんか最近、千佳変わったね」
こうしてついには彼氏にも愛想をつかされ、別れ話を切り出されたのだった。
― なんなの、みんな。私から離れていって。
仕事や人だけじゃない。マンションの更新料が支払えず、結局部屋を引き払わなくてはならなくなった。…みんなで寄ってたかって、私のことを東京から追い出そうとしているみたいだ。
人生の半分以上、住み続けてきた東京。
仕事で走り回った撮影現場や、イベント会場。彼と行ったレストランに、一人で過ごしたお気に入りのカフェ。
西日が差し込む仕事部屋は、大好きなブランドのインテリアで統一した特別な空間で、どこもかしこも未練しかない。
それから、1ヶ月後。
私は高校を卒業するまで暮らしていた、千葉県南房総市に向かっていた。
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すべてを失った千佳は、ますます自分の殻に閉じこもっていき…。
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