ポストに入っていたのは、1通の賃貸借契約更新通知だった。
情けないけれど、この更新料を払ったら蓄えておいた貯金が底をつく。
― これって、東京から出ていけってこと?
大学に進学するのと同時に東京で暮らし始めて、17年。
これから先もずっと東京で生きていくつもりだったし、これまでの楽しかった生活は当たり前に続いていくと思っていた。
それなのに仕事も彼氏も、住む家もないだなんて。これからどうしたらいいのだろう。
◆
「ファッションが大好きで、ファッション誌の仕事がしたいんです!」
昔からの夢が叶い、念願の大手出版社への就職が決まったのは22歳の頃。そして就職してからは、昼夜を問わずとにかく働いた。
その甲斐あってか、入社から7年が経つ頃には、人気ファッション誌でかなりのページ数を任されるようになったのだ。
それくらいの頃から、ほとんど無自覚で“私は東京で成功した側の人間”と、思いこんでいたんだと思う。
「いいなあ、千佳の仕事は。華やかだし流行の最先端だし!私たちとは見てる世界が違うって感じ」
「大変なことも多いんだよ?いつも寝不足だしね」
「そんなこと言って、肌も髪もツヤツヤだし、その服も先月号に載ってたやつじゃない?」
そんなふうに、自然と友人たちから羨ましがられることも増えていった。
そうして長年住んでいた江東区にある1Kのマンションから、恵比寿駅近くの2DKの部屋へと引っ越したのもこの頃。
休みの日は近所のカフェで本を読みながらゆっくり過ごす、という理想の生活も手に入れた。
― これで彼氏ができたら、もう言うことナシだなあ。
なんて思っていたらすぐに素敵な出会いがあったものだから、自分の引きの強さが少し怖くなったくらいだ。
その彼は、広告代理店に勤める営業マン。ある化粧品会社とのタイアップ企画が持ち上がったときに、打ち合わせの席で出会った。
最初は3歳年下の彼のことなんて、完全に恋愛対象外。それでも企画が無事ゴールを迎えたあたりから、積極的に食事へ誘われるようになった。
二人きりで飲みに行くようになると、人懐っこいところが可愛く思えた。それに仕事の相談をすれば的確なアドバイスをくれる彼に、どんどん惹かれていったのだ。
「ねえ。実は私、会社を辞めようと思ってるんだ。すぐにってわけじゃないんだけど」
「転職ってこと?どんな仕事したいの?」
「今後は、フリーランスのライターになりたいんだよね」
いつかはフリーで働きたい。でも自分には夢のような話だと思っていた。だけど、ここ数年でだいぶ実力はついてきたと思う。
それに、いつしか“大島千佳としての記事”を書きたい気持ちが、抑えきれなくなっていたのだ。
「そっか。俺は応援するし、いつでも相談に乗るよ。あ、フリーランスで働くなら、まずは生活費の半年分以上を貯金しておいたほうが安心らしいよ。あとは保険もね」
そんな彼の応援もあって、付き合い始めてすぐ、独立に向けた準備を始めた。そこから2年後には会社を辞め、フリーランスライターとしてのスタートを切ったのだ。
彼との付き合いも順調だし、今が人生のピークかもしれない。そう思うくらい、すべてにおいて充実していた。
…はずだったのに。
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