SPECIAL TALK Vol.70

~「地元産にこだわるから個性が出る」世界中で学んだ技術で日本ワインを進化させたい~

幼い頃から身近に感じ、自然とワインの世界へ

金丸:そもそも山梨県はワインの消費が多いのでしょうか?

三澤:勝沼はよく飲みますね。以前は湯呑でワインを飲む人たちがたくさんいて。

金丸:湯呑で!昭和を感じますね。

三澤:日本酒よりも安いくらいで、がぶがぶと。私が小さな頃は、一升瓶のワインがまだ出回っていました。

金丸:ご実家は全員お酒に強いんですか?

三澤:それが、私はワイン以外のお酒がほとんどダメなんです。興味はあるので飲むんですが、あまりよくわからないというのが正直なところです。

金丸:ワインが飲める体質で本当によかったですね(笑)。ご両親はどうですか?

三澤:父はかなり飲みますが、母はそんなに。

金丸:ちょっと気になるのが、結婚された当時、お父様は商社マンだった。お母様としては、醸造家に転職するなんて考えてもみなかったのでは?

三澤:そうですね。母はいまだによくその話をします(笑)。「商社マンと結婚したのに」って。母も山梨出身ですが、母方の祖父は医者なので、まったくの畑違いです。

金丸:そうなんですね。突然の転職は、お母様の実家のほうでかなり物議を醸しそうですが。

三澤:医者とはいっても、町医者として地域医療に熱心に取り組んでいましたから、理解できるところはあったようです。

金丸:なるほど。仕事に対する価値観や使命感という部分に共感してくれていたのかもしれません。

三澤:一生を捧げる専門職という点では、醸造家も医者も同じなので、仕事に対する姿勢は母方の祖父からも学びました。

金丸:身近なところに尊敬できる人がいるのはいいですね。ところで、三澤さんはずっと勝沼なんですか?

三澤:いえ、勝沼には高校がなかったので高校は甲府へ通い、大学は東京に。

金丸:学生のとき、飲み会にワインを持参することはありましたか?実家がワイナリーだと、周りの学生から「持ってきてくれるんじゃないか」と期待されそうですが。

三澤:持っていかなかったですね。というより、持っていけなかったです。実家だからこそ、そこは逆に線引きがあって、父があれだけの思いをして造っているワインに軽はずみに手をつけてはいけないと。すごく神聖なもののように感じていました。

金丸:それもまた家族経営ならではの感覚かもしれません。大学卒業後は、そのままご実家に?

三澤:そうです。

金丸:お父様から「いつか継いでくれるだろう」みたいなプレッシャーはなかったんですか?

三澤:まったくありませんでした。ただ、実家がワイナリーとはいえ、それほど知識があったわけではないので、大学のときから東京のワインスクールに通っていました。だから父は、私に継ぐ気があるということは感じていたはずです。

金丸:では、いつか三澤さんのほうから言い出すだろうと待っていたのかもしれませんね。

三澤:当時、日本に女性の醸造家は誰もいない時代だったので、私自身、悩まなかったわけではありません。でも、祖父と父がときには泥だらけになりながら、ぶどうと格闘している姿を幼い頃から見てきたので、醸造家という生き方には、それだけの価値があるんだろうなと思っていました。

金丸:家族経営の企業では、やむを得ずに跡を継ぐ人もいますが、三澤さんの場合は、自然とワインの道に入られたんですね。

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