次の日。大智は目覚めると、軽くランニングへでかけた。代々木公園に近いことと気軽に入れるお店が多いことが、富ヶ谷に住んでいる決め手だ。
ランニングから戻りシャワーを浴びてから、改めてキッチンを見回してみた。リビングと一体になっているキッチンは、単身用にしては広々とした作りで朝の日差しがたっぷり注ぎ込んでいる。
だが殆ど使ったことのないガスコンロには、埃が積もっていた。
冷蔵庫の中は、ビールやプロテイン用の牛乳が入っているだけでがらんとしている。
ー食事はいつも外食か、Uber Eatsだしな。
自炊といえば、袋麺を茹でるくらい。調理器具は片手鍋が1つしかないし、食器もどんぶり鉢と箸だけ。小さな食洗機も備え付けで付いているが、使い方も分からない。
1人でキッチンをうろうろしているとインターホンが鳴った。
「お邪魔しまーす!」
章二は両手に大きな紙袋を下げてやってきた。
「どうせ調理器具とかほとんど持っていないだろ?俺が昔使ってた物で良かったらあげるよ。料理するうちにこだわりが出てくると思うから徐々に買い換えればいいよ」
形の綺麗な白いTシャツにジムで鍛えた自慢の胸筋がうっすらと浮いている。
「章二はなんで料理するようになったの?」
「俺はいわゆるイケメンじゃないからさ、普通にしててもモテないわけよ。大学生の時、男が少ない環境に行けばチャンスがあると思って料理教室に通ったのがきっかけ」
章二はてきぱきと持ってきた調理器具をカウンターに並べていく。大鍋に大きさの違うフライパンにボウルや名前のよく分からない細々とした物たち。
「結局通ったクラスがお昼だったから周りは主婦だらけで出会いはなかったけどね。でも純粋に料理って奥深いし、栄養バランスを考える上でも役立つから今でもよく自炊してるよ」
そう言ってスマホで写真を見せてきた。緑鮮やかなサグカレーと、とろりとしたバターチキンカレーにふかふかしたナン。
盛り付けや写真の構図は荒っぽいが、料理の質感はお店で食べる物と遜色ないように見える。
「このインドカレーは行きつけのお店のシェフに作り方を聞いてスパイスから作ったんだ。もちろんお店の味には敵わないけど、自分で試行錯誤しながら作り上げていく過程が楽しいんだよね」
そう言った章二の横顔は仕事の時とも、食事会に行く時とも異なっている。あえて例えるならば、理科の実験にわくわくしている小学生のような、そんな顔つきをしていた。
ー俺も早くおいしそうなご飯を作れるようになって、スミレちゃんに見てもらいたいな。
閑散としていたキッチンが、少しにぎやかになってきた。
◆
一息ついて、インスタを開くとちょうどスミレが料理のストーリーを投稿していた。
「今日のお昼はビーフストロガノフ!」
ー熱々でおいしそうだな。…え?
鍋がぐつぐつ煮える音に混じって、かすかにスミレの名前を呼ぶ男の声が聞こえたような気がした。
▶Next:5月29日 金曜更新予定
スミレの部屋で聞こえた男の声の正体は?一方大智は、はじめての調味料売り場で種類の多さに圧倒される…
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この記事へのコメント
遠距離恋愛も、お料理に目覚める男子もとても新鮮。
結婚が目的の女性や、クズ男の話はもう読み飽きちゃったから、この連載楽しくなりそう。
そう、料理って始めたらハマります、そして続けていくと確実に腕も技術も味付けもうまくなります。料理男子歴20年近い僕が保証します(勿論続けていければ、の話ですが)。
だから是非頑張ってほしい。
おこもり生活を楽しめるような知恵もあれば真似したいです。
にしても、話の本筋ではない煽り系見出し、ワンパターンではありますが、だんだん東カレ編集者の才能に見えてきました(笑)