ダメ男にお小遣いを与え続けるアラサー女子。働かない男に対しての本心は(3/3)[東京カレンダー

ヒデは意味深な目で望美をしばらく見つめたかと思うと、突然ふにゃっと表情をゆるませ、椅子の背もたれにしなだれ掛かる。

「やっぱ、バレた？」

「バレバレだよ。言っておくけど、猫なら絶対ダメだからね」

望美の言葉に、ヒデは身を乗り出す。

「えええ〜！望美さんのケチ！」

「ダメなものはダメなの。何度も言うけど、このマンションはペット禁止なんだから。居候の君はいいかもしれないけど、バレたら怒られるの私なんだよ」

「どうせ俺は居候ですよ」と大げさにふてくされるヒデの頭をポンポンと叩きながら、望美は自身のスマホを覗き見る。この待ち受け画面にしている黒猫も「猫を買いたい」というヒデが、いつのまにか拾い物の画像を勝手に設定したのだ。

この画像のおかげで、後輩の凛からはすっかり猫好きの仲間だと思われている。しかし、ヒデのことを猫だと思われているこの状態は望美にとっては都合が良く、誤解をそのままにしているのだった。

「猫なんて絶対ムリ。ただでさえ、ヒデだけで手一杯」

そう言いながら2つ目の白トリュフの塩パンに手を伸ばした望美は、ふと、あることに気付く。

スマホに表示された日付は、月末の土曜日。ハッとしながら、望美はヒデに向かって問いかけた。

「ねぇ、今日からバイト始めるって言ってなかった？高円寺のカフェだっけ。昼から入るはずだったでしょ？」

「……」

ヒデは聞こえないふりをして、コーヒーになみなみとミルクを注いでいる。気乗りのしない言葉には耳を傾けようともせず、のらりくらりとかわすのが癖なのだ。

「ヒデ？どうしたのか言って？怒らないから」

業を煮やした望美がさらに問い詰めると、ヒデはションボリと肩を落としながらボソリと呟いた。

「やっぱ、やめることにしたんだ…。俺、新しく集めた仲間と春に舞台やることになりそうで…。今はその脚本にきちんと向き合いたいっていうか、バイトしてる時じゃないかな…って」

納得がいった。朝から三軒茶屋までパンを買いに走ったのは、無職を続けることに対する贖罪というワケだ。

望美は、喉元まで出かけた溜息をどうにか押しとどめると、ヒデに向かって微笑む。

「そっか、舞台があるならしょうがないよね。楽しみにしてるから、頑張って」

途端に、ヒデの顔が安堵でほどける。ヒデは勢いよく椅子から立ち上がると、望美の背後へと移動し、背中からのし掛かるようにして望美を抱きしめた。

「だから望美さん、好き」

首筋に感じる、ヒデの吐息と熱い体温。怠惰な安堵と天にも昇るような恍惚が、望美を包み込む。

「望美さん、好き」その言葉をこうして甘く低い声で囁かれると、望美はいつも濃密な幸福感を得ることができる。

だが望美は、その言葉の裏にはいつだって“本当の意味”があることも、十分承知しているのだった。

首元に絡みついたしなやかで筋肉質な腕を振り解くと、望美は傍らに置いてあったハンドバッグの中から、ボナベンチュラの財布を取り出す。そして、1万円札2枚をそっと抜き取り「はい」といいながらヒデの手に握らせた。

「いつもありがとう。実は今日これから、その舞台の顔合わせがあるんだ。俺…マジで望美さんがいなきゃダメだね。ほんと感謝してる。大好きだよ」

お金を受け取ったヒデは、望美の唇に優しいキスをし、クローゼットの方へ向かい身支度を整え始める。

望美はその広く美しい背中の動きを見ながら、今しがたキスをしたばかりの唇を拭い、考えていた。

―働いてなくたって、お金がなくたって、全然構わない。こうしている限り、ヒデは私を癒してくれる。幸せな気持ちを与えてくれる。

…あんな風に私を裏切ったりは、絶対にしないんだもの。

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