2019.12.28
もともと2人の価値観が違っていたのかもしれない
「もともと僕は彼女の収入を当てにしていません。結婚した当時、妻の事業は赤字続きでしたしね。彼女はとても頑張っていたから、うまく行くよう願ってはいましたが、別に生活を豊かにしたいとか、資産が増えることを望んでいたわけではないんですよ」
健吾はサラリーマンだが、メガバンクの本社に勤務しており、身にあまる贅沢さえしなければ妻子を養う力はある。
もともと浪費するタイプでもなく、高級品や美食にそれほど興味もない。
「お互い忙しく働いているので、普段はゆっくり食事をするタイミングもなかなかない。でも、たまの休みに萌がブランチを用意してくれて…それをのんびり食べる時間が幸せだった。そう。僕はそういう平凡かつ些細なことで、十分に幸せを感じていたんです」
当時のことを思い出したのか、健吾はそう言って微かに目を細める。
そんな彼の表情から、健吾が妻・萌を心底愛し、結婚生活をとても大事に考えていたことが伺える。
しかし次の瞬間、彼は表情を曇らせ、苦しそうにため息を吐いた。
「多分、僕の考える幸せと萌の望む幸せの形が、いつの間にか違ってしまったのでしょう…いや、もしかしたら最初から違っていたのかも」
結婚当時、萌の事業がまだ軌道に乗っていなかったとき、彼女は自宅で仕事をすることが多かった。
というのも、二人で借りた飯田橋の家のほかに、彼女は渋谷に小さな事務所を構えていたのだが、狭いスペースは大量の在庫で埋め尽くされており、とても仕事ができるような状態ではなかったからだ。
平日は健吾も帰りが遅いし、萌の仕事はエンドレスで終わりがない。
しかしたまに「早く帰るよ」と連絡をすると、好物のハンバーグを作って待っていてくれたり、先ほども語っていたが、週末の朝、健吾が昼前くらいに起きてシャワーを浴びリビングに向かうと、まるでおしゃれカフェのようなブランチが用意されていたりした。
「彼女の仕事は週末だろうと休みではないし、僕のことなどお構いなしでずっとPCに向かっている日もある。それでも基本的には家にいるし、休みの日くらい家で食べたいでしょ?と言って、けっこう手料理も作ってくれていたんですよ…」
ところが。萌の事業がだんだんと軌道に乗り、金銭的に余裕ができてくるに従って、彼女の言動が少しずつ変わっていったのだという。
「ちょうど1年ほど前、萌はこれまでの3倍の広さの事務所に引っ越しをしました。場所は同じ渋谷です。アシスタントも一気に増やしたそうで、彼女もほぼ毎日事務所に出勤するようになったんです」
もともと帰宅の遅い健吾ではあったが、それでもこれまでは、家に帰れば必ず萌が迎えてくれた。
しかし事務所を移転したあと萌はほとんどの時間を事務所で過ごすようになり、その結果、夫婦のコミュニケーションが激減してしまったらしい。
「これまでは日付が変わる頃に帰っても、萌も仕事をしながら起きて待っていてくれて、軽く一杯飲みながらその日の出来事をお互い話したりしていたんですが、最近は真っ暗な部屋に帰ることも多い。
後から帰ってきた萌が、興奮気味に仕事の話をしてきたりすることもありますが、もう寝ようとしているタイミングで聞くには重くて…ついあしらってしまい喧嘩する、なんてことも増えました」
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