2019.10.21
SPECIAL TALK Vol.61金丸:まさにマーケティング思考です。でも、分析して審査員の好みがわかったからといって、実際にお菓子を作るには相当な技術が要求されるはず。マーケティングと技術の両方が噛み合っているからこそ、辻口さんは選ばれ続けたんですね。
辻口:それができたのは、お菓子というフィールドだからかもしれません。一般的な料理と違って、お菓子は味そのものを全部数値化できますから。
金丸:味の数値化、ですか?
辻口:ええ。たとえば魚料理の場合、同じ種類の魚であっても、魚ごとに鮮度や味が違います。だから持ち込まれた素材をもとに瞬間的にレシピを組み立てる「瞬発力」が必要です。でもお菓子は、水や砂糖、粉を材料に、全くかたちのないところから作り上げていくので、数値化することが可能なんです。
金丸:なるほど。科学的ですね。
辻口:それに、「アングレーズソースを作るときは、82℃まで温度を上げたら一番美味しく仕上がる」ということも知られています。昔は温度計を突っ込むなんてタブーでした。「職人だったら、このとろみで82℃を見極めろ。それができなかったら職人じゃない」と。でも僕は、遠慮なく温度計を入れます。
金丸:温度計で測るから、再現度にばらつきが出にくくなると。
辻口:僕は数値化をとても大事にしてきたし、これまでいろいろなブランドを立ち上げるうえで、それが非常に役に立ちました。「この素材だったら何℃で管理するのが一番よいか」とか、「何℃で食べてもらうのが一番美味しいだろうか」を追求し、その数値をうまく味覚に落とし込んで、いかに美味しいものを提供するかをいつも考えてきました。そういう発想のなかで、ブランディングをしています。
金丸:辻口さんの考え方は、きっとこれまでの日本のお菓子業界にはなかった考え方なんでしょうね。独立という目標に向かって常にいろいろな工夫をしながら、戦略的かつ大胆に突破していく。その性格は、ご両親の影響なんでしょうか?
辻口:そうですね。母はいつも「人に迷惑をかけるな」と言っていました。実家の和菓子屋が倒産したときも、朝は昆布洗い、昼は保険の外交、夜は配膳と3つの仕事を掛け持ちしながら、僕の下の2人を育ててくれました。なんとか早く独立して稼ぎたいと思ったのは、母を助けたかったから。そう考えると、母の影響は大きいですね。
金丸:お父様の影響は?
辻口:父からは修業に入る前に一言、「誰も教えてくれないから目で盗め」と。ただ、実家が潰れたあと、父は失踪してしまって。
金丸:失踪!? それはまた……。
実家が潰れたからこそ、挑戦し続けるパティシエに
辻口:2015年にNHKの朝の連続テレビ小説で『まれ』というドラマが放映されたのを覚えていますか? 主人公が紆余曲折を経ながらパティシエを目指すストーリーで、僕は製菓指導を務めたんですが、そもそもあのドラマは、僕の半生を綴った本をもとに主人公を女性にした物語なんです。
金丸:そうだったんですか。
辻口:劇中で、主人公であるまれの父親は6年くらい失踪するんですが、実際に僕の父は14年間失踪していました。
金丸:結構長いですね。どうやって再会したんですか?
辻口:NHKの「わたしはあきらめない」というインタビュー番組に出演したことがきっかけでした。「『紅屋』という和菓子屋をやっていた親父が、借金に追われてどこかへ行ってしまった」と話したところ、放送の翌日、東京の江戸川区役所から電話がありました。「末期がんで江戸川病院に運ばれてる男性がいるんですが、昨日の放送を見て、もしかしたら、あなたのお父さんじゃないかと思って」と。
金丸:ドラマみたいですね。
辻口:役所の方が言うには、「昔、和菓子屋をやっていたという話は合っているんだけど、誰も身寄りがないし、本人は辻口とは名乗っていない。品川と名乗っている」と。そう言われて、ピンと来たんです。「親父に違いない」と。というのも、品川というのは母の旧姓なんです。母を連れて江戸川病院に行くと、ちっちゃくなった親父がベッドに寝ていました。
金丸:本当にお父様だった! 奇跡ですね。
辻口:父は退院したあと6年間生きました。風呂なしのワンルームに住んでいたので、マンションを用意して住まわせようとしたけど、頑なに断られて。
金丸:男の意地ですね。
辻口:「そこまで面倒はかけたくない」と。ただ、不思議な話がまだあって。がんの完治はほぼ絶望的でしたが、ドライブがてら、ふたりで鎌倉の鶴岡八幡宮にお参りに行きました。そのとき父がやたらと謝ってくるので、「いや親父、いいんだ。あのとき潰れていなかったら、多分俺が潰していたから」と言って、これまで思っていたことをすべて話したんです。
金丸:お父様もそれを聞いて、気持ちが楽になったでしょう。実家の倒産がなければ、辻口さんの人生はまったく違ったものになったはず。大事なのは、今の人生に対して、辻口さんがまったく後悔していないということです。
辻口:確かにそうですね。それからしばらくして、宮司さんから連絡があり、僕の「和楽紅屋」という店の商品を鶴岡八幡宮のおさがりとして使いたい、という申し出がありました。実家の『紅屋』という屋号は商標を取られて使えなかったので、「和楽紅屋」という名前で和スイーツを始めたんですが、これも何かのご縁だなと。
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