—運命なんて、実在しないと思っていた。
女性というものが信用できず、恋愛にも興味をなくしていた独身男・誠人(まさと)。
ところが、休暇を取って香港を訪れた彼を、旅先で待ち受けていたのは、ユリカと名乗る美しい女性との運命的な出会いだった。
どうやらワケありな彼女のことを、誠人はどうしても諦めきれず・・・。
『誠人さん、先日はありがとうございました♡次は、二人きりで会えませんか?』
香港の街中を走るタクシーの中で、僕はスマホ画面を見ながらため息をついた。
先日交流会で知り合った女性からのメッセージに、手早く社交辞令の定型文を返し、LINEを閉じる。
窓の外に目をやると、ドライバーに伝えていた行き先の湾仔(ワンチャイ)エリアに、まもなく到着しようとしているところだった。
僕は今、休暇を取って香港を訪れている。
一人旅は気楽でいい、と改めて思う。34歳になったばかりの僕は、結婚どころか恋人もいないが、この気ままな生き方をそれなりに気に入っていた。
5年前に先輩と立ち上げたビジネスが軌道にのって以来、僕の周りには、急に多くの女性が寄ってくるようになった。
それまで見向きもしてくれなかった女性さえも、手のひらを返したように媚を売ってくる。だから最近の僕は、女性というものを少しも信用していないし、恋愛にも興味がなくなっていた。
「お。着いたな」
湾仔に到着し、下車した僕と入れ違いに、ひとりの女性がタクシーに乗り込む。その瞬間、フレグランスの独特な香りが、ふわりと鼻をくすぐった。
仕事を終えたビジネスマンたちで賑わう、夕刻の雑踏。生暖かい空気が肌を撫でる。9月の香港は、かなり蒸し暑いのだ。
人混みをかきわけながら、軽く一杯飲もうとバーに向かう途中で、僕はハッとした。
—財布がない。
自分の顔から血の気が引いていくのがわかる。タクシーで支払いをしたときまではあったはずだから、もしかしてこの数分の間にどこかで落としたのだろうか。
「ああ、最悪だ…」
頭を抱え、来た道を戻ろうとした瞬間。前方に、ひとりの女性が息を切らして立っているのに気がついた。手には見覚えのあるレザーの財布を持っている。
「あの。このお財布、タクシーの中に忘れましたよね?」
「あ…!」
「入れ違いでタクシーに乗ったら、後部座席に財布があるのに気づいて…慌ててそのまま降りて、追いかけたの」
僕がそのとき目を奪われたのは、自分の財布よりも、その女性が放つミステリアスなオーラと、息を呑むほどの美しさだった。