香港最終日、AM11:00。コーヒーショップ『Page Common』で、僕はユリカを待っていた。
尖沙咀(チムサーチョイ)にあるホテル「Page148」の中に入るこの店は、美味しいコーヒーとブランチに定評がある。
コーヒーの香りが漂う店内で、僕はチラチラと時計を気にする。帰国便のためにはここを正午過ぎには出なくてはならず、時間は限られている。だけどどうしても彼女に会いたかった。
昨晩、ユリカは電話の向こうで、覚悟を決めたように「わかった。必ず行くから」と言ってくれた。
それなのにー。
出発時間になってもユリカが現れることはなかった。
◆
日本に帰国してから、3ヶ月が経った。
僕は仕事にのめり込むように夢中になり、忙しい日々を過ごしている。
結局あの日、ユリカは僕に会いにこなかった。きっと香港で、婚約者の男と甘い時間を過ごしたのだろう。当時は婚約中だと言っていたが、今頃は入籍を済ませているかもしれない。
彼女のことを思い出すことはよくあったし、正直に言えばやっぱりもう一度会いたかった。
だが、そもそもユリカについてわかるのは、下の名前だけ。香港のときの電話番号も、旅行用のレンタル携帯だったため、日本での連絡先はわからず、僕にはなす術がない。
『映画か何かだったら、運命の出会いって言うのかしら』
あの夜、彼女が言った言葉が忘れられなかった。確かに僕も以前は、運命だなんて映画や物語の中にしか存在しないものだと信じていた。
だけど今となっては、まさに彼女こそが、運命の女性のように思える。それなのに、諦めるしかないなんてー。
そんな矢先のこと。ボンヤリとスマホを眺めていた僕は、あるものを見つけた瞬間、息が止まりそうになった。
それは、香港のメーカーズディナーで知り合った佐藤茂氏のSNS。なんと、佐藤氏がアップしている集合写真の中に、ユリカと思しき美しい女性の姿を見つけたのだった。
◆
それから数日後、僕は『はっこく』のカウンター席に、ユリカと並んで座っていた。
「佐藤さんには、仕事でお世話になっているんだけど…急に佐藤さんから連絡がきたときはビックリしたわ。“ある男が、君にどうしても会いたがっている”って言われて。まさか誠人さんだなんて…」
ユリカはそう言って、ケラケラと笑っている。
僕はあの後、佐藤茂氏にコンタクトを取り、事の経緯を説明した上でユリカと連絡を取りたいと伝えたのだ。
「だけどユリカさん、どうして今日来てくれたの?誘っておいてなんだけど、内心、来てもらえないんじゃないかって思っていたんだ。香港の最後の日にも来なかったから…」
「あの日は行けなくて、ごめんなさい」
実は、香港最終日にユリカが現れなかったのは、あの日、婚約者と別れ話をしていたからだった。
長年付き合っていたが、多忙すぎる彼とのスレ違いから、結局別れを決意したのだという。
僕はユリカの横顔をそっと盗み見る。寂しそうに別れの顛末を語っていた彼女の表情が、そのときパッと明るくなった。
「このワイン、美味しい…!お鮨とのマリアージュも絶妙ね」
僕とユリカが飲んでいるのは、「シャトー・ワイマラマ」の「SSS 2009」だ。
「赤ワインとお鮨って、こんなに美味しいのね。知らなかったわ。
…私ね、彼と別れて、はじめは本当に途方にくれていたの。5年も彼と付き合っていて、その間も、彼と結婚する事しか考えていなかったから、小さな世界だけを生きていたのよ。
だけど今はこう思えるの。せっかく再スタートを切ったんだから、新しい世界をたくさん知っていきたい。こんな風に今まで知らなかったことも、もっともっと知っていきたいなって」
ユリカはお鮨とワインをゆっくりと味わい、僕に向かって微笑んだ。
そして僕たちは、無言で見つめ合う。香港で過ごした短い夜の続きが、今まさに始まろうとしていた。
Fin.
誠人とユリカの再会のキッカケとなった、「シャトーワイマラマ」の最高峰ワイン「SSS 2009」の詳細はこちら。