成田空港で麻友を待ち構えていたのは、意外な人たちだった。
「お父さん、お母さん。どうしたの?!」
観光ガイドたちに紛れて、到着ロビーで待ち構えていた両親の姿を見つけて、麻友は驚きの声をあげた。
「どうしたって、迎えにきたのよ。長旅、疲れたでしょう?」
母親は満面の笑みを浮かべ、父親は照れ臭いのかどこかバツの悪そうな顔をしている。
「電車で帰るつもりだったのよ。…でも嬉しいわ。ありがとう」
麻友は驚きながらも素直に親切を受け入れると、家族3人で連れ立って駐車場に向かった。
麻友の実家は藤沢なので、成田空港まで決して近くはない。
目黒の麻友のマンションまで送ってから実家まで戻るとなると、なかなかのロングドライブだ。
自分が甘やかされて育ったという自覚はある。
結婚後、なかなか子供を授からなかった両親の元に生まれた一人娘が麻友だ。愛情をいっぱいに受け、教育にも習い事にも惜しみない労力と金額を注ぎ込んでくれた。
おかげで麻友は、私立の中高一貫の名門女子校から、早稲田大学へ進学し、卒業後は一流百貨店でキャリアを築いて来た。
過保護さが少々重苦しく感じることもあるが、それも一人娘の宿命。
周りから羨まれるほど仲の良い家族で、麻友も両親のことが大好きだ。
「麻友ちゃんがお嫁に行ったら、こうして3人でドライブできる機会もなくなるから」
助手席の母はすでに涙声だ。これでは結婚式が思いやられると、麻友は苦笑いをした。
父親は父親で、早くも孫に備えてファミリーカーに買い換えると言い出す始末。
「だからまだ、孫とかの話はいいの。良輔も仕事やめて家業を継ぐんだよ。子供はそっちが落ち着いてから」
婚約者の松川良輔の実家は、日本橋の老舗お茶問屋だ。
本人は、大卒後ずっと広告代理店に勤めているが、実情は跡取り息子。いよいよ結婚を機に家業を継ぎ「松川」へ入ることが決まっているのだ。
麻友も、長年勤めた百貨店を退職し、良輔と一緒に「松川」を手伝う決意をした。
百貨店時代にヒット商品を多くプロデュースしてきた実績があり、またお茶の文化は海外でとても受けが良いので、海外展開も視野に入れている。
義父と義母も、麻友のサポートを期待してくれているため、半分寿退社のような形での退職となった。
そして、退職から松川家に嫁ぐまでの期間を利用して、英語力向上のために、麻友は短期語学研修へとカナダに飛び立ち、今日帰国したところなのである。
「それで麻友ちゃん、英語は?ちゃんと遊ばずに勉強した?」
「もちろんよ。毎日夜中まで勉強しっぱなし。あ。国際交流も勉強のうちね。現地の友達もたくさんできたし、すごく充実してた」
カナダへの短期留学は、麻友にとって手応えを感じるものだった。
たった4ヶ月とはいえ、結婚前の貴重なひとときだ。元来真面目で努力家なので、脇目も振らずに勉強した。
学生時代の積み重ねのおかげか、もともと英語は得意な方だが、現地で学ぶのはやはり効果的だった。英語力は格段に上がったという実感がある。
留学中に勉強をおろそかにして羽目を外して遊んでしまう学生は少なくないが、婚約者がいるという立場での振る舞いを、麻友は取り続けた。離れていても、愛する良輔に対して誠実でいたかった。
―なんとか、「松川」のために頑張ろう。
なにより良輔と、義両親のために少しでも力になりたいというのが、麻友の健気な思いだ。
運転席の父と助手席の母は、結婚式に着る黒留袖や燕尾服について、ああでもないこうでもないと、気が早い言い合いをしている。
かといえば、松川の義両親や良輔の人格を褒め、そして唐突に麻友の子供時代の話をしては涙ぐんでいた。
プロポーズを受けたときの麻友と同じく、この縁談が喜ばしくてハイになっているのだ。
―ようやく少しは親孝行できた気がする。もうすぐ30歳だし、孫のことも早めに考えないとね…。
「麻友ちゃん、良輔さんが迎えに来れないってメールで教えてくれたでしょ?そしたらお父さん、俺が行くって張り切っちゃって」
母が冷やかし、父が照れ笑いするといういつもの光景すら、結婚が迫っている麻友には愛おしく感じる。
こんな夫婦になれたらいいなと、心から思うのだ。
「助かったわ。ありがとう、お父さん」
父が恥ずかしがってはぐらかすのも、いつものことだ。
「良輔くんは、よっぽど仕事が忙しいんだな。もうすぐ退職となると、引き継ぎなんかもあるだろうし、大変だよ。あまり迷惑かけるなよ」
「うん。だから迎えはいらないよって、私から連絡したの。でも、メールの返事する暇もないみたい。仕事人間だから仕方ないけど、体が心配で」
もともと麻友も良輔もウェットな付き合いをするタイプでもなく、日本にいるときから毎日密に連絡を取り合っていたわけでもない。
離れて過ごす4ヶ月間、麻友は勉強で必死だったし、良輔の仕事はいつでも多忙を極めていた。
これから本格的に始まる結婚式の準備も、麻友がほとんど1人でするであろうという覚悟はできている。
―でも、やっぱりすぐに会いたい。
状況は理解しているものの、愛おしい婚約者なのだ。きっと、向こうだって同じ気持ちだろう。
「無事に帰国したよ」とだけLINEでメッセージを送り、返事を待つことにする。
「仕事が終わったら会いに行くよ」。さすがの仕事人間の良輔でも、そう言って駆けつけてくれるはず。
こうして親子水入らずの時間を過ごせることに感謝しながら、麻友は長旅の疲れに身を委ね、心穏やかにドライブのひと時を楽しんだのだった。
この記事へのコメント
これは無いよ、良輔