SPECIAL TALK Vol.54

~フランスパンを日本の食文化に、その挑戦に自分のすべてを捧げたい~

サラリーマン生活から一転。27歳でパン職人の道へ

金丸:ところで、就職についてはどのように考えていたのでしょう?

木村:世間知らずで、どんな会社があるかもわからない状態だったので、正直何も考えていませんでした。しかも大学4年生になるときに、風邪のウイルスが肝臓に入ってしまい、3週間くらい入院したんです。当時はバブルの真っただ中だったので、退院すると、周りのみんなは内定を5、6社もらっていました。完全に出遅れてしまい、「どうしよう」と思っていたとき、いきなり先輩に首根っこを掴まれてホテルに監禁され、「今日はイエスと言うまで返さない」と。

金丸:何が起きたんですか(笑)。

木村:スキーで知り合った12歳上の先輩から「うちに来い」と言われたんです。結局、誘われるまま生命保険会社に入社し、辞めるまでの6年間、ずっと法人営業担当でした。

金丸:成績はどうでしたか? 木村さんは営業に向いている感じがしますが。

木村:正直言って、すごく向いてます(笑)。生命保険の法人営業は、毎年、各社が数字を発表するまで、どこで誰が何をやっているかわからない。ほかの会社に気づかれないように、いろいろと動き回っていましたね。

金丸:木村さんは攻めの人ですよね。

木村:そうですね。起業したばかりの頃も、攻めの一辺倒で。最近になってようやくディフェンスという考え方も身につきました。

金丸:一旦起業してしまえば、あとは操縦桿を握りしめて飛ぶしかないですから。

木村:飛ぶという感覚もなかったですよ。生き残るためならなんでもする、みたいな。

金丸:生保を辞めたのは、何がきっかけだったのですか?

木村:父から「そろそろ戻ってこないか」と誘われたからです。ただ、辞めたくなかったというのが本心で。というのも、生まれてこの方、僕はずっと実家暮らしでした。一人暮らしをしたくて地方勤務の希望を出していたところ、それが実現しそうなタイミングだったんです。それで困ってしまって、上司に相談しました。「父に『わが社には木村君が必要なんです』と言ってもらえませんか」と。

金丸:で、どうなったんですか?

木村:上司は快く引き受けてくれて、上司と父と僕の3人でゴルフに行くことになりました。僕はゴルフがうまくないので、プレーの途中、隣のコースに球が飛んでいってしまった。戻ってきて次のホールに移動していたら、上司が「木村、そういうことで、おまえ、会社辞めることになったから」って。

金丸:やられましたね(笑)。木村さんがいない間に勝負がついちゃった。

木村:僕よりも父のほうに説得力があったんでしょう。ところが辞めることが決まって、僕が木村屋に戻る前に、父が木村屋から出ていくことになり……。

金丸:それは大変だ。

木村:父は僕に「アメリカでパンについて学んでこい」と、米国製パン研究所(AIB)という技術者を育成する機関の入学手続きを進めていて、「一応、英語くらい勉強しておけ」と言うんだけど、この時点で僕はパン屋になるつもりはまったくない。それでパンの勉強のために英語を勉強しろと言われても。

金丸:やる気は出ませんよね。

木村:本当に生まれて初めて、目標を見失ってしまいました。でもそのとき、たまたま生保でお世話になった、ある企業の社長さんとお会いして、「頑張ってみたらいいじゃないか。それでダメだったら、俺の会社に来い!」とおっしゃっていただいたんです。

金丸:素晴らしい方ですね。その言葉をきっかけに奮起したんですか?

木村:はい。それはもう頑張らなきゃと。「頑張ったけど、ダメでした」とヘラヘラしながら門を叩くわけにはいかないじゃないですか。じゃあ、どれくらい頑張ったらいいんだろう、と自問自答して決めた基準が、ボクシングでセコンドがタオルを投げ込むように、「もうやめろ」と誰かが止めてくれるまで。とにかく自分の体と心を限界まで追い込んでみようと思いました。それが27歳のときです。

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