SPECIAL TALK Vol.54

~フランスパンを日本の食文化に、その挑戦に自分のすべてを捧げたい~

中学2年生で落第の危機。追い込まれることで力を発揮

金丸:お生まれはもちろん東京ですよね。

木村:はい。家は四谷でしたが、お店が銀座にあるので、子どもの頃から銀座で食事する機会が多かったですね。

金丸:木村さんは幼稚舎から大学まで慶應義塾だそうですが、「木村家の御曹司」という意識はありましたか?

木村:クラスに実家が有名な友達がたくさんいたので、そういう意識はなかったです。

金丸:小さい頃は、どんなお子さんでしたか?

木村:学校が終わっても家に帰らず、外でよく遊んでいました。学校までは都バスの定期券で通っていたのですが、途中から「都内フリーパス」に変わったおかげで、行動範囲が広がって。バスに乗れば市ヶ谷のお堀もすぐです。外堀の坂で、ランドセルをソリのかわりにして、誰が一番お堀の近くまでいけるか、なんてチキンレースをしたり。

金丸:ランドセルが傷だらけだ(笑)。

木村:友達がお堀のなかに落ちて、大問題にもなりましたよ(笑)。

金丸:自由奔放だったんですね。野山を駆け巡ったりもしたのですか?

木村:伊豆と箱根に別荘があったので、キノコ狩りもしたし、海に潜ってアワビを獲ったりもしましたね。それから父に怒られた仕返しに、父の大嫌いなヘビを捕まえてきて、洗面所に放り投げたこともあります。

金丸:やんちゃ坊主だ。

木村:いや、ちょっとしたいたずらっ子です。かわいいものですよ(笑)。

金丸:お話を伺っていると、勉強する時間がまったくなさそうですが、中学ではどんな学校生活を?

木村:中学は、人生の暗黒期です。

金丸:えっ、いきなりどうしたんですか?

木村:あの頃は校内暴力がものすごい時代でしたから、隣の中学校がめちゃくちゃ荒れていて、僕の学校もちょっとおかしな感じになり、隣の中学校の乱闘に参加する同級生もいました。そんな状況のなか、僕はゲームセンターにはまってしまって、成績は常に超低空飛行。私よりダメな人は全員落第というギリギリの状態でした。

金丸:慶應は成績が悪いと留年させられると聞きますが、よく進級できましたね。

木村:一番危なかったのは、中学2年生のときです。2学期の試験で、平均点が60点のところ、47点を取ってしまった。「40点台を取って、いまだかつて進学した人はいない。今のうちに外に出るか落第するか選びなさい」と先生に言われました。

金丸:でも、諦めなかった。

木村:部活をやめて、生まれて初めて必死に勉強しました。学年末の試験では英語と数学の成績がよかったので、先生たちの間で「これで落第させるのもなんだよね」となったらしく。

金丸:ギリギリ回避できたんですね。高校はどうでしたか?

木村:高校に進んだら、5歳からスキーをやっていたのでスキー部に入ろうと思っていたのですが、進級へのトラウマから断念しました。

金丸:では、大学進学はスムーズだったのですか?

木村:はい。慶應義塾大学の法学部法律学科に進学できましたが、それも、私の母方の祖父が法曹界にいて、「法律学科に行けば、金一封もらえるかも」という不純な動機で。だから大学時代は法律の勉強よりも、ちょっとでも時間があればスキーに打ち込むという生活でしたね。

金丸:ところで、ご両親は木村さんに対して何かおっしゃらなかったのですか?

木村:父はその頃、日本青年会議所の理事長もやっていて忙しく、ほとんど顔を合わせることがありませんでした。母からは「勉強しなさい」と言われたことはありませんが、ほめられたこともあまりなくて。やはり両親からほめられたい、という気持ちはありました。

金丸:その後、起業して成功されますが、そのときも何も言われなかったのですか?

木村:実は、父が亡くなる直前、もう十数年前になりますが、一度だけほめられたことがあります。テレビの取材が来て、誘導尋問に引っかかるように「(息子を)誇りに思いますね」なんて。そんなこと一言も聞いたことがなかったので、本当にびっくりしました。

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