秘書と言っても、結局は雑用だ。
毎朝同じチャイラテを買い、伝書鳩のようにメールを各所に送り、パソコンにかじりついて編集長のスケジュールを調整する。誰にでも出来るような仕事を、延々と続けているのだ。
しかも正社員ではなく三ヶ月更新の契約社員で、ボーナスは無し。
華やかな業界に足を踏み入れたあの日の喜びを、私は今日まで一日たりとも忘れたことはないけれど…。
どんなに丁寧に仕事をしたとしても、結局のところ私は「無個性なモブキャラ」を脱することができない。
念願かなって「SPERARE」に入社したはずなのに、いつの間にか私の日常はため息に埋もれ、"本当の夢"は未だ叶えられずに居た。
けれど、そんな日々からはもうすぐ開放される。
私は先週届いたTOEICの結果を何度も見返しては、自分の夢に一歩ずつ着実に近づいていることを確信していた。
半年前、ついに編集部に欠員が出たのだ。人事が慌ただしく後任を探しているけれど、未だに採用されたという話は聞いていない。
募集要項に書かれていた条件のうち、私に足りなかったのは「英語力必須 TOEIC700点以上」という条件だけ。これさえクリアすれば、私もついに「SPERARE」の花形部署への切符を手にすることができるのだ。
この数ヶ月、貯金をはたいて通いつめた英会話とTOEIC対策。最初は、学生時代からこびりついていた英語への苦手意識を克服するだけで、一苦労だった。
それでも一心不乱に勉強を続け、ついに募集要項にあった700点をクリアしたのだ。
雑用ばかりの毎日から開放され、ついに憧れだった編集部への道が見えてきたと思うと、自然と顔がにやけてしまう。
「りか子ちゃん、朝からどうしたの。プロポーズでもされた?」
そんな見当違いのことを言いながら私の顔を覗き込むのは、数少ないバックオフィスのメンバーのひとり・幸田美津子さんだ。
人事総務を担当する彼女に、いち早く部署異動願いについて相談しようとしていた矢先に声をかけられ、もう私は頬が緩むのを止めることはできなかった。
「あの、今日ランチご一緒しませんか?ご相談したいことがあって…。」
しかし、夢と希望に満ち溢れた私の思いは、瞬時に砕かれることとなる。
「ごめんね、せっかくだけど今日は無理なのよ。新人さんが入るから入社対応もあるし、ウェルカムランチも私が編集長の代理で行かなきゃいけなくて…。」
「…新人、ですか?聞いてませんけど…。」
「私も、金曜の夜に言われたばっかりなのよ。編集長が独断で決めたから、私はまだ履歴書しか見ていないんだけどね…。」
美津子さんは、私の顔がみるみる曇っていくのに気がついたようだった。
「大丈夫よ!ランチは明日にでも行きましょう?『ダルビルバンテジョコンド』予約しておくわね!」
明るくそう言って、足早にその場から立ち去ってしまった。
◆
9時半を回る頃、来客を知らせる内線電話がけたたましく鳴り響く。
編集長のカレンダーを見ると、小さく15分だけタイトルのないスケジュールが抑えられていた。
編集長のスケジュールならば、ほとんどすべて私が管理しているけれど、その15分の空白には見覚えがない。
「はい、SPERARE編集部です。」
怪訝に思いながらその電話を取ると、受話器の向こうから聞こえてきたのは、やたらと元気で明るい声だった。
「本日からこちらの編集部に勤務する、小阪アンナです。」
この記事へのコメント
でもねえ、おしゃれな雑誌を作る人、ってのはそこに載るモデルさんじゃないんだから、ぽっちゃりとか関係ないと思うよ。
「きれいだけど頭悪そう」とか逆に「いくら◯ができてもあのご面相じゃ」とか言って自分を優位に置こうとするのはあまり美しくない。
秘書だって誰にでもできる仕事じゃないし
(私には無理)適正ってあるよね。