「三好。例のミーティング、16時からだって」
背後で馴染みの声がしたと思ったら、肩をポンと叩かれた。
振り返ると、同期で、同じ人事部採用チームの長瀬徹(ながせ・とおる)が私に目配せをしている。
喫煙ルームにいたのだろう。微かにメンソールの香りが漂った。
「わかった。ありがとう」
会釈を返す私に小さく頷きながら、徹はすぐ目前の自席に腰を下ろす。
そしてこちらに再びチラと視線を送ると、興味津々といった様子で、大きな独り言を呟くのだった。
「どんな奴が来るんだろうなぁ」
徹の言った“例のミーティング”というのは、私たちが働くWEBメディアで、今年初めて開始することになった新卒採用の打ち合わせのこと。
ベンチャーに分類されるこの会社では、これまで即戦力の中途採用しかしてこなかった。
しかしこの先さらなる飛躍のためにも若く新しい風が必要だという社長直々の指示で、ついに新卒採用が開始されることになった。
説明が遅れてしまったが、私も徹も、第二新卒枠ではあるが中途採用でこの会社に入っている。
私は新卒で入社した大手不動産会社をたった1年半で辞めてしまっており(その理由はまた改めて話そうと思う)、一方の徹はというと、国内トップクラスの大学を卒業してはいるものの、就職もせずバックパッカーで1年以上も世界を旅していたという変わり者だ。
WEBメディアの知識や経験はもちろんのこと、そもそも社会人経験すらままならない私たち。
しかし新卒採用を始めるならば、新卒に近い目線で会社を語れる人材が必要だということで、私と徹に白羽の矢が立ったのだった。
ちなみに後から聞いた話では、複数いた候補者から私たちが選ばれた理由は、地頭の良さやコミュニケーション能力はもちろんだが、とにかく“見た目がパッとしていたから”だという。
ビジュアルの良さは、採用担当の資質として重要なポイントらしいのだ。
ところで、新卒採用は予てから社長の目標の一つであったようで、その気合にも並々ならぬものを感じる。
何せ、業界ではやり手で有名だという採用のプロを、人事部のマネージャーとしてヘッドハンティングしてきたほどなのだ。
そして私たちは今日、その新しいマネージャーと初顔合わせをすることになっていた。
生活感のない男
16時になり、徹と一緒に会議室で待っていると、しばらくして社長とともに一人の男がやってきた。
強面で、圧のある顔面の社長は全社員から恐れられる存在なのだが、今日は珍しく機嫌が良い。そのことからも、“彼”が社長お気に入りの逸材であることが伺えた。
「マネージャーの大谷くんだ。非常に優秀な男だから、君たちも存分に鍛えてもらって。期待してるよ」
そう紹介された彼、大谷亮(おおたに・りょう)は、私の想像よりずっと精悍で若い男だった。
30代半ばだと聞いていたからもっと“おじさん”を想像していたが(24歳の私にとって、10歳年上というのはそういうイメージだったのだ)、肌なんて艶々としていて枯れたところがない。
何よりも、生活感がまるでなかった。
「大谷です、よろしく」
とても短く、簡潔な挨拶だったが、その声は私の耳に妙に生々しく響いた。心地の良い声だ、と思った。
仕事のできる男らしく、簡単に人を寄せ付けない空気を纏っている。しかし笑った時にできるえくぼがちょっと可愛い。
私は、彼が何気なく机に置いた左手にそっと目をやり、薬指に指輪がないことを確認した。
そして“気をつけなければ”と、本能で感じた。
気をつけないと、私はこの人を好きになってしまう。
そう思ったのだ。
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