佳恵:「心身ともに、美しくありたいの」
「実は私ね、2年前からトレイルランを始めたの」
「トレイルラン…?」
トレイルランとは、森や山など、舗装されていない、アップダウンのある大自然の中を走るスポーツらしい。
なんでも佳恵はオフになると長野や山梨などに出かけ、トレイルランを愛する仲間たちとともに山野を駆け回っているのだという。
「自然の中を走るのって気持ちがいいし、何よりメンタルが整うのよ。瞑想と同じような効果があるっていうか。いい歳してだらしないのって醜いでしょう?私は、心身ともに美しくありたいの」
「へぇ、すごいね。瞑想…」
嬉々として語る佳恵は実に楽しそうだが、僕にはあまり興味を持つことができなかった。
「トレイルランの仲間には著名な経営者なんかも多いの。走るのって孤独だし自分との戦いだから、やっぱメンタルが鍛えらるんだろうね」
…僕だって、運動が嫌いというわけではない。最近は集まれていないが、仲間たちとフットサルをしたりすることもある。
しかしそれはあくまで遊び。佳恵のようにメンタルを鍛えるとか、整えるとか、そういう目的のものではない。
話が難しい方向へいきそうだったので、僕は話を変えることにした。
「佳恵はさ、どういう男が好きなんだっけ?」
確か昔、同じような質問をした時、彼女は「優しい人」とか「面白い人」とか言っていたように思う。それなら僕は、両方をクリアしている自信がある。
「それ、俺じゃん?」などと冗談ぽく、切り込んでやろうと思っていた。
しかしながら36歳となった佳恵の口から出てきた条件は、そんな僕の下心をあっけなく粉砕するものだったのだ。
「ストイックな人、かな」
−ス、ストイック…?
思いがけぬ返答すぎたため、すぐに気の利いた返しを見つけられずに黙ってしまった。僕としたことが、情けない。
しかし佳恵はそんな僕の反応など気にする様子もなく、“好きな男のタイプ”について饒舌に語り始めた。
「やっぱり、大きな目的を持って仕事に取り組んでる人は魅力的よね。それで、その目的に対してストイックに努力して欲しい。私、怠惰な人とか見ると苛々しちゃうの...休みの日に昼すぎまで寝てる人とか絶対ムリ。お互いに高めあえるような関係が理想だし…」
−め、めんどくせぇ...。
佳恵の語りを聞きながら僕は、彼女とこれ以上の関係になることを諦めてしまった。
僕は彼女のいうようなストイックな精神など持ち合わせてもいないし、お互いに高め合うことももちろん必要だとは思うが、どちらかというとパートナーとなる女性には、完璧よりも癒しを求めている。
30代も半ばともなれば、仕事で背負うプレッシャーも責任も20代の比ではない。外では覚悟を決めて戦うつもりだが、家の中まで完璧を求められては息が詰ってしまいそうだ。
休みの日なんだから、二人で寝坊して「よく寝たね〜」なんて言いながらぐだぐだと過ごしたっていいじゃないか。
それに男は好きな女性であれば、そういうダメで無防備な姿だって見せて欲しいし、むしろ愛しいとさえ思うものなのに。
…それにしても彼女は一体いつから、こんなにもストイックな性格になってしまったのだろう。
20代の頃は、決してこんな風ではなかった。
もしかすると、歳を重ねるにつれて強くなろう、強くあらねばと思うあまり、自分にも、そして他人にも厳しくなってしまったのかもしれない。
「やっぱり、尊敬できない人はムリね」
そんな風に言い切る佳恵に曖昧に頷いてみせながら、僕は彼女の言う“ストイックな努力を惜しまない、尊敬に値する独身男”が一体この東京に何人いるだろうか、と思いを馳せた。
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