ノリオとジュリエット Vol.8

「手切れ金500万で、別れてほしい」凡庸なサラリーマンを挑発する、招かれざる客の正体

「...どういう意味?」

静かに尋ねた紀夫に薫はしばし逡巡したのち、まるで噛みしめるような口調で過去を語り始めた。

人気アイドルとのスキャンダル発覚前、薫は大物政治家の息子である柏原秀一と真剣交際をしていた。

薫と柏原はデート現場を何度も撮られており、結婚も視野に入れた関係として世間にも知られていた。そして薫自身も、そう信じていたそうなのだ。

しかし薫はある日、柏原から通告されたのだという。

現段階では父親の事務所で勉強中の身である自分がいよいよ政治家として立候補するとき。その際には代々の地盤がある栃木県の有力者…つまり地元で大きな力を持つ中小企業の社長令嬢と結婚することが決まっている、と。

柏原はその時「例えそうなっても、愛しているのは薫だけだ」と言ったらしい。

しかしスキャンダル発覚後、結局、彼の方から別れを切り出されたというのだ。つまりは薫の醜聞を、好都合だと言わんばかりに言い訳に使ったのだろう。

「柏原は、知った顔で愛を語っても結局、最後は“家”から逃れられない人やった。そしてそれは…樹里さんも同じやよ」

端正な顔を歪め、薫は吐き捨てるように言った。そしてそんな彼女に結局、紀夫は何一つ反論できないのだった。

招かれざる客


滋賀の実家に戻るという薫を見送ったあと、紀夫は真っ直ぐ帰路についた。

龍之介でも誘って鬱々とした気分を晴らそうかとも考えたが、飲んではしゃぐためにはもう少しだけ、心を落ち着かせる必要があると思い至ったのだ。

もうこれ以上、心を乱されたくない。家で心おだやかに過ごしたい。

しかし家路を急ぐ紀夫の切なる願いは、聞き入れられることはないのだった。


「一ツ橋紀夫さん、ですよね?」

自宅マンションの前に、景観から妙に浮いている、見るからに育ちの良さそうな男が立っていることに、紀夫も気づいてはいた。

しかし知り合いでも、見覚えもない。よって自分には無関係だと判断し、素通りしようとした、その時。思いがけず背後から名を呼ばれ......


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