「アキラさん、引っ越しおめでとうございます」
タクミは、そう言いながらリーデルのワイングラスが包まれた箱を差し出した。
会社の先輩であるアキラが、結婚を機にマンションを買った。そのお披露目を兼ねたホームパーティーに呼ばれて、タクミは同僚3人と目黒に来ているのだ。
「あ、理沙さん。ご無沙汰してます」
スリッパを出してくれるアキラの妻・理沙に挨拶しながら、タクミは廊下の奥へと目をやる。
目黒駅から権之助坂を下って約7分の場所にある、低層マンション。日差しがたっぷり入る明るい室内からは、女性たちの楽しそうな声が聞こえてきた。
今日は、理沙の学生時代の後輩も来ると聞いている。理沙は、良家の子女が通うとして有名な学校を出ているだけに、タクミの期待値も上がっていた。
リビングに通されると、すでに4人の女性がテーブルについており、口々に「こんにちはー♡」と挨拶してきた。
その中にいた一人の女性・泉に、タクミの目は釘付けになった。
泉はストレートの黒髪がよく似合う、上品な女性。27歳と聞いたが妙に大人っぽく、タクミはその雰囲気に一目で惹かれた。
運良く泉の隣に座ることができたタクミは、皆がアキラたちの新居選びのエピソードを聞きながら盛り上がっている中、泉に声をかける。
「そういえばこの前、友達と恵比寿横丁に行ったらさぁ…」
恵比寿横丁に一度でも行ったことがある人には鉄板のネタを話すが、泉の反応はイマイチだ。
「あれ、泉ちゃんは恵比寿横丁はあんまり行かない?」
「うん、聞いたことはあるけど、行ったことはないんだ。恵比寿って、ちょっと苦手だし」
「あ…そうなんだ。恵比寿では、あんまり飲んだりしない?」
タクミの問いに、泉は「私、お酒あんまり飲まないし」と伏し目がちにコクリと頷く。いつもの流れであれば、ここで恵比寿デートに誘うのだがそんな雰囲気でもなさそうだ。
「あ、じゃあ泉ちゃんはどこに行くことが多いの?俺さ、恵比寿しか詳しくないから、そろそろ恵比寿以外も知りたいなーと思ってて。教えて欲しいな」
本当は、恵比寿以外に興味なんてない。興味があるのは泉だ。だがさすがにそんなにストレートには言えず、タクミはなんとかきっかけを探す。
「うーん、そうだなぁ」
泉が、もったいぶるように天井を見上げたせいで、元から大きな瞳がさらに強調されて、タクミは思わずどきりとする。
こうしてタクミはやや強引に、泉との初めてのデートを取り付けたのだった。
この女、ただ者ではない?
「タクミくんって、銀座が似合わないね」
泉とのデートは、そんな言葉から始まった。
泉は楽しそうにケラケラ笑っているが、恵比寿にプライドを持っているタクミには、痛くもかゆくもない言葉だ。
パーティーで泉は「好きな街は銀座」と言い、27歳で銀座が好きだなんて背伸びしてる感が可愛いな、とタクミは目を細めた。
だが…。
銀座の街を歩きながら、タクミの胸では泉への嫌な予感が広がっていたのだった。