「わぁっ……!!すごく綺麗な夜景だねぇ……。」
ビルの7階にあるバーに入ると、広い窓から渋谷の夜景が一望できた。それを見て、緊張していたユリの顔がぱあっと明るくなる。
僕は岡田透、32歳。独身で彼女ナシ。ちょうど半年前に、駐在先のシリコンバレーから帰ってきたばかりだ。
帰国後はたまに食事会に参加して、気になる子がいたら途中で抜ける。そんな日々が続いていたが、次第にこの刹那的な生活にも飽き、そろそろ“結婚”の2文字が頭をよぎり始めていた。
―こういう子と結婚したら、幸せなのかなぁ……。
バーで可愛らしくはしゃぐユリの横顔を見ながら、僕は珍しくそんなことを考えていた。目の前に女性がいたら楽しませるのに必死で、普段そんなことは考えもしないのだけれど。
◆
翌朝、いつもと同じようにきっちり6時に起きて、赤坂のマンションから千代田線で大手町に向かった。通勤ラッシュ前の時間帯だから車内は空いていて、スマホでニュースをチェックする余裕もある。
昨夜は結局、家に着いたのが25時過ぎだった。
しかし朝起きて熱めのシャワーを浴びて電車に乗ったら、昨日飲んでいたことなんて、まるでなかったかのように感じるから不思議だ。
でも駐在前は、二日酔いで9時ぎりぎりに会社に駆け込む、なんてしょっちゅうだった。
駐在先では環境も取引先も、仕事の質も全く違い、最初の1年はかなり苦労した。要領よく人生を歩んできた僕にとっては、初めての挫折だったかもしれない。
だから仕事以外の時間でも、必死になって情報収集やスキルアップの時間に充てていたが、その習慣は日本に戻った今でも続けている。
今日も7時過ぎには会社に着き、経済誌をチェックしながらデスクでコーヒーをすすっていると、目の前にある女性が現れた。
「おはようございます。今日からお世話になる、小宮山詩織です。」
そう言えば今日、新しい人が来ると聞いていた。
彼女は以前世界最大手の外資系コンサルティング会社に勤めていたらしく、どんなキレ者のキャリアウーマンが来るのだろうと、職場では話題だったのだ。
しかし彼女は、思い描いていたイメージと大分違った。
僕は勝手に、タイトスーツにハイヒールを履くような、“THE・キャリアウーマン”的な女性を想像していたが、実際の彼女は小柄で華奢で、全くそのイメージと違ったからだ。
「岡田透です。よろしくお願いします」
そう言って僕も自己紹介すると、彼女はいたずらっ子のような顔でクスリと笑った。
僕は少しカチンときて「どうかしましたか?」と聞くと、彼女はクスクスと笑いながらこう言ったのだ。
「あら…ごめんなさい。うちの飼っている猫にそっくりだったから」
―はぁ???猫??
僕は唖然としたが、彼女はその反応を気にする風でもなく、くるりと向きを変え、隣のフロアに行ってしまった。
しかし僕の頭からは彼女の笑顔が焼き付いて離れず、その後も思わず彼女を目で追ってしまった。
……右手の薬指に光る指輪が、気になって仕方なかった。