永久に止まったままの時計の針
恵子は『アールツー サパークラブ』に春香を連れて行った。週末の店内は、確かに恵子の言う通り、たくさんの男たちで溢れかえっている。
春香は、外資系投資銀行の男に声をかけられたり、外国人男性にドリンクを奢ってもらったりと、それなりに六本木の夜を満喫した。
楽しそうな春香を見て、恵子も満足そうだ。
「ねえ、春香。あの人ちょっといいんじゃない?」
恵子がそっと囁いた。でも、春香は首を横にふる。
「顔はかっこいいけど、着ている服がダサいのよね。私、おしゃれな男の人が好きなの」
「オシャレな男なんて、ナルシストで厄介じゃない…?あっ、じゃあ、あっちの人は?さっき春香に声かけてたよね」
「ああ、あの人はね、話したら亭主関白ぽくて無理だった。私、かわいい雰囲気の人がタイプだから」
それまで上機嫌だったはずの恵子の顔色がさっと変わった。
「春香。さっきから言ってる条件、どれもこれも祐也君のことばっかりじゃない。一体いつまで祐也君の思い出にしがみついてるの?」
春香はムッとした。食事会にも出向いているし、積極的にデートだってしている。新しい恋をするため前向きに努力しているつもりだ。
しかし春香の胸の内はお見通しだというかのように、恵子は続ける。
「いくら食事会の回数を重ねても、そうやって心の奥で祐也君のことを思い出してる以上、次の恋愛には進めないんだよ。春香、そんなに器用じゃないでしょう」
そして春香の右手を冷ややかに見つめた。
「前から言おうと思ってたけど、そのリング、祐也君から貰ったものでしょ?そんなものいつまでも身につけてるから忘れられないし、男だって近寄らないわよ。さっさと捨てちゃいなさい」
慌てて手を引っ込めた春香に、恵子はさらに畳み掛ける。
「いい?春香がそうやってる間に、限られた20代の時間は過ぎていくんだよ。春香の時間は永久に止まったままだけど、もう3年もの月日が経ったの」
恵子の辛辣な言葉が、胸にぐさりと突き刺さる。そして春香は目を覚ました。長い眠りから解き放たれたかのように。
◆
自宅に帰った春香は、薬指から指輪を外し、小さな箱に丁寧にしまい込む。
春香にとっては、小さな儀式のようなものだった。3年経ってやっと言える、祐也へのさよならの儀式。
結局春香は、心のどこかでずっと待ち続けていたのだ。合鍵を持った祐也が、ある日突然玄関のドアを開けて、ひょっこり戻ってくるのを。だから絶対に引越しもせず、電話番号も変えなかった。
春香は玄関の扉をぼんやりと見つめる。もう、祐也は帰ってこないんだ。
指輪を外すと、まるで足枷が外れたかのような解放感に満たされた。ずっと止まったままだった時計の針がようやく動き出したのだ。
—ごめんね、祐也。私、前に進むよ。さよなら…。
しかし、この時の春香はまだ、過去との真の闘いはこれから始まるのだということを知る由もなかった—。
▶NEXT:10月11日 水曜更新予定
祐也への未練を断ち切ることを誓った春香。ついに理想の相手が現れる?
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この記事へのコメント
気になって仕方ない 笑