2017.10.02
サラリーマン会計士・隆一の迷い Vol.1◆
「公認会計士さんって、何の仕事するんですか?」
目の前に座る、くっきりと濃いピンク色の口紅を隙なく塗った女が、僕に質問してきた。
今日は同期の健に誘われた、『マディソン ニューヨークキッチン』での食事会だった。
会社の決算時期に突入すると徹夜になることも多いが、今は繁忙期明けで時間がある。仕事終わりに、女性たちとこうして食事する時間だって確保できる。こうした息抜きがあるからこそ、繁忙期を何とか乗り越えられるのだ。
だから何度聞かれたか分からないこんな質問にも、にこやかに答えた。
「企業の決算に不正がないか、チェックする仕事だよ」
しかし目の前にいる女性は、全く分かっていないようだった。テレビドラマなどで馴染みがある弁護士と違って、会計士の仕事は理解されづらい。すると、隣にいる健がすかさずフォローを入れる。
「隆一は、堅いなぁ。公認会計士ってね、クライアントから先生、先生って言われる仕事なんだよ」
健の答えに、女性たちはようやく反応できる言葉が見つかったとばかりに、「すごーい!」と頷く。
健は一番仲の良い同期で、日大出身の元ラガーマン。丸っこい体型と軽快なトークで、誰からも愛されるキャラクターだ。
逆に僕は身長180センチ、健曰く“今流行りの塩顔”で、「食事会に隆一を連れて行くと見栄えが良い」らしい。
「ごめんね、分かりづらくて」
質問してきた女性に、僕はにこやかに微笑みかける。すると彼女は「こちらこそ、すみません」と自分の無知を恥じるように答えた。
彼女は派手な外見の割に、あまり男性には慣れていなそうだ。興味を持った僕は、彼女の隣に座った。健は、他の女性たちときゃっきゃっとはしゃいでいる。
今日も、いつも通り楽しい夜だ。
23歳のときのような野心は徐々になくなっていたが、今の生活は決して悪くない。最大手監査法人勤務の肩書きはどこに行っても通用するし、給料だって平均水準以上。
健も僕も、この生活に満足していたはずだった。
だからこそ、この食事会が終わって1週間後に来たメールに、僕はひどく動揺した。
◆
その日の朝、いつも通りメールのチェックをしていると、定期的に配信される人事情報が届いていた。
数千人規模の会社なので、知らない人の名前が羅列されているばかりだ。だからその日も、いつも通り惰性でメールを開けた。
しかしそこには、信じられない名前があった。
「9月30日退職 磯野 健」
つい1週間前に一緒に食事会に繰り出していた健が、何の前触れもなく退職を決めていたのだ。僕は目を、疑った。
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