女の唇は、キスするためにある。
花が甘い蜜で虫たちを引き寄せるように、唇で男たちの熱い視線を独り占めにする女がいる。
どんな言葉を並べるよりも、それが効果的であることを、一部の女はすでに知っている。
会社の先輩・康史を好きになった堀川真樹(28歳)。社内恋愛ということで関係を進めることに躊躇していた時、食事会で竜太に出会う。竜太にはあまり良い印象を持っていなかったが、買い物に出かけた銀座で、偶然再会してしまう。
「真樹ちゃん」
銀座4丁目の交差点へ向かって歩いていると、いきなり大きな声で呼ばれた。
振り返るとそこには竜太がいて、真樹は驚くと同時に眉間にシワを寄せた。
「真樹ちゃん、偶然だね!こんな所で会えると思わなかったよ。あれ、買い物帰り?」
真樹が手に持ったゲランの紙袋を見て、すかさず言ってきた。
「え、竜太くん?!」
食事会で一度だけしか会っていない竜太が突然目の前に現れ、真樹は困惑した。
状況が把握できないまま竜太の勢いに乗せられるように「ええ、そうだけど」と答えると、その言葉に被せるように彼が喋る。
「ちょうど良かった。真樹ちゃんお腹空いてない?せっかくだからご飯でも食べようよ。もちろん僕がご馳走するからさ」
竜太は代理店の男らしく、軽いノリで誘ってきた。まるで昔からの知り合いであるかのように、その口調は馴れ馴れしい。
「このすぐ近くに良いお店があるから。あ、今ちょっと電話してみるね」
「え、私行くなんて言ってないけど」
真樹は少しだけ強い口調で言ったが、竜太は聞こえないふりをしているのか本当に聞こえなかったのか、ポケットから取り出したスマホを耳にあて、「行けるかな~」と言いながら腕時計を見ていた。
「あのさぁ……」
真樹が腕組みして呆れた顔で言っても、竜太は気にすることなく笑顔でスマホに向かって話し始めた。
「あ、空いてますか。じゃあ2名で、5分で行きます」
こうして真樹にとっては不本意ながら、印象最悪だった男・竜太と食事に行くことになってしまった。
唯一の救いは、食事会で4人いた男性の中で2番目にタイプだっただけあり、竜太の顔だけは嫌いでなかったことだ。