麗しの35歳 Vol.1

麗しの35歳:ありふれた結婚に落ちついた女は、彼女の前で恐れおののく。35歳、恭子見参!

居てもたってもいられなくなって、思わず話題を変えた。

「恭子、恋愛の方はどうなの?結婚の予定とか無いの?」

すると恭子は少し照れるように目線を逸らし、言葉を濁す。

「うーん…どうかなあ。特に報告すべきことは、何も」

そう言いながらも、決して男性には困っていないのだろうと想像させる、余裕の微笑を顔に浮かべている。

デザートまで食べ終えたところで、突然恭子が悪戯っぽい表情で囁いた。

「ねえ、まだ時間も早いし…このあと隣のバースペースに移動しない?」

『トゥールームス』にはダイニングスペースに併設してバースペースがあり、週末はかなり多くの人で賑わい、ちょっとした出会いの場にもなっている。

「いいね!トゥールームスのバーなんて独身以来で、なんだかワクワクしちゃう」

他の2人ははしゃぎながら、独身時代の懐かしい武勇伝で盛り上がっているが、20代後半を育児に追われて過ごした私はさっぱりついていけなかった。

夜のバーで痛感させられる、女の格の違い


バースペースは、エネルギー溢れる男女が集う空間だ。

そこにおそるおそる足を一歩踏み入れた途端、ふと小さな疑問を抱いた。

—私はまだ、女として通用するのだろうか?

誰よりも早く家庭に入り、女としての魅力を確認する機会がなく過ぎ去った20代。それを今夜取り戻せるかもしれないという淡い期待が胸をよぎった。

しかしそんな希望も虚しく、私たちは、特に男性から声をかけられることはなかった。ただ喧騒の中でかき消されそうになる声を必死で張り上げてなんとか会話を保っている。

でも、恭子だけは違った。

モヒートを注文しに颯爽とカウンターまで歩く彼女の姿にちらちらと視線を送る男たち。

まるで若い女たちを蹴散らすかのように、彼女は一歩歩くごとに特別なオーラを放っていて、皆が目を奪われている。

私が決して味わうことのなかった女の全盛期の喜び。それを恭子はまさに今、堪能しているように見えた。

恭子との格の違いを見せつけられたような気がして、私はただ黙ってストローでモヒートをすすっていた。

そんな中、人ごみをかきわけて私たちの輪に近づいてくる男性の姿に気付いた。

20代後半くらいだろうか。整った顔立ちと洗練された雰囲気を纏った男がまっすぐこちらを見つめている。

彼は私の目の前まで来て立ち止まり、そして口を開いた。

「恭子さん。お疲れ様です」

「周平くん」

恭子は驚いていたようだが、しばらくしてはっと我にかえって、私たちに彼を紹介した。

「部下の周平くんよ」

そして2人は何かを話し込んでいた。恭子はいつもと変わらぬ表情を崩すことはなかったが、彼の視線は熱を帯びているように見える。

久々の人ごみと夜の雰囲気に疲れてしまった私は早々に店から退散した。

なんだか自尊心が傷つけられたように感じた、そんな一夜だった。

武蔵小杉の自宅に戻ると、夫はソファに横たわりTシャツの裾からお腹を出して爆睡している。結婚当時にイケメンだと皆から言われた夫も、今では40手前で文字通りただの中年の男だ。

夫の姿を見下ろしながら、先ほどバーで出会った恭子の部下との差に、思わずため息がこぼれた。

寝室をそっと覗くと、息子が布団にくるまれてスヤスヤと寝息をたてている。

今、目の前にいる宝物は、紛れもなく私だからこそ得られた財産だ。恭子には、家族だって子供だっていないのだから。

これでいい。私の人生は、絵に描いたような順調な人生なんだ。そうに決まってる。

息子の頭を撫でながら、私は自分に何度も言い聞かせていた。


▶Next:8月14日 月曜更新予定
バーで出会った男・周平は上司・恭子のことをどう見ているのか。

※本記事に掲載されている価格は、原則として消費税抜きの表示であり、記事配信時点でのものです。

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